トップ > 南北アメリカの世界遺産 > チリの世界遺産 > ラパ・ヌイ国立公園 (イースター島 Easter Island)> ムー大陸論争

ラパ・ヌイ国立公園 Rapa Nui National Park  ムー大陸論争

ムー大陸論争 (MU)

イースター島を、謎めいた島にしている要因の一つは「ムー大陸」の存在だと思います。あの「今から1万2000年前に太平洋上に存在し、突然の火山の爆発により一夜にして沈んでしまったという伝説の大陸」の話です。イギリス人、ジェ−ムス・チャーチワードが著書「失われたムー大陸」でその存在を発表してから、考古学者はもとより、多くの人々がムー大陸に興味を示し、現在に至っています。そしてチャーチワードはその著書の中で、ムー大陸存在の根拠の多くをイースター島に求めています。 ここでは、チャーチワードの考えたムー大陸はどんなところなのか、なぜチャーチワードはムー大陸が存在したと考えたのか、そして現在その説はどう考えられているのか等、イースター島を理解するに不可欠な「ムー大陸論争」についてまとめてみます。

ムー大陸は存在するというチャーチワードの主張

チャーチワードの考えた ムー大陸とは?
存在していた時期
今から1万2000年前
首都
ヒラニプラ(現在のポナペ島付近)
人口
約6400万人(最多人口)
人種
様々な肌の色の十種類の民族が争いもなく平和に生活していた。
政治形態
民主的に選ばれた帝王ラ・ムーを中心に民主主義が行われていた。
主な都市
首都ビラニプラを中心に、7つの大都市が大きな道路で結ばれていた
学問
優秀な文化を持ち、特に建築と航海の術に優れていた。
建造物
都市には巨大な石造建造物が建ち並んだ。特に首都の建物群は象牙、金、銀、錫など様々な金属で装飾されていた。
なぜその存在を知ったのか
1868年にイギリス陸軍士官としてインドに渡り、そこでヒンズー教寺院の高僧に古い粘土板(ナカール)を見せられた。それを7年かけて解読すると消えた大陸、ムーの聖典「聖なる霊感の書」であることがわかった。その後世界各地をまわって証拠を集めた。
人類誕生の地?
ユカタン半島、古代マヤ族の書いた「トロアノ」古写本に「人間が地上に最初に現れたところ、それはムー大陸である」と書かれている。
古代文明発祥地?
世界に散らばる聖典・古文書はムーの「聖なる霊感の書」を元にしている。例えば旧約聖書の創世記と聖なる霊感の書では酷似している箇所がある
ムー大陸の位置
大陸は太平洋の面積の半分以上を占め、北はハワイ諸島、西はマリアナ諸島、フィジー、トンガ、クック諸島、そしてイースターを含む東西8000km、南北5000kmの大きな大陸。狭い水路で3つのエリアに分断されていたという。
チャーチワードが考えた ムー大陸が存在したという証拠
古代エジプトのヒエログリフ
ミイラを埋葬する際「死者の書」という書物を一緒に入れたがそこにムー大陸を示すヒエログリフがあった。
ピラミッドについて
エジプトでもメキシコでも同じようなピラミッドが作られているのは、元になる文明が同じだったから。つまり全ての古代文明はムーで作られた。
参考までに、古代四大文明の成立時期
エジプト文明 紀元前3000年頃
インダス文明 紀元前2500年頃
メソポタミア文明 紀元前2000年頃
黄河(中国)文明 紀元前1500年頃
ムー大陸最後の日のこと
チャーチワードはムー大陸が火山が爆発し、大地震と津波で一夜のうちに海の底へ沈んでしまったとしている。その理由として、大陸の下には巨大なガスチェンバー(空洞)があり、ひとたびそれが崩れると広範囲が一気に陥没する地質的特徴を持っていた、という説を展開している。また、諸国の古文書にもその解答を見つけている、
トロアノ古写本より
カンの6年、11ムルク、サクの月に恐ろしい地震が始まり、13チュエンまでやむことなく続いた。地の丘の国−ムー大陸は犠牲の運命にあった。地下の火の作用により、大地は絶え間なくうち震え、各地で盛り上がり、また沈んだ。10の国々(民族)は四散した。かくして6400万の住民はその国と共に没した。この書を編むに先立つこと8060年前のことである。
ラサ記録
平野には水が充満し、街はみんな沈んだ。苦しみの叫びが天に満ちた。神殿や宮殿に向かって人々は逃げ場を求めたが、たちまち火焔と黒煙とに追い出されてしまった。
イースター島が「ムー大陸の一部」と考えられたわけ
絶海の孤島にしては立派な遺跡がありすぎる。
ポリネシア人は位置的にムー大陸の生き残りだと考えられる。
太平洋の島々に「ムー大陸の沈没」と同様な「洪水伝説」が残っている。
太平洋にのこる島々はムー大陸の残りの一部に違いない。

ムー大陸は存在しなかったという主張

古代エジプト「死者の書」について
解釈の違いであって、ムー大陸の事を具体的に指しているとは考えにくい。
12000年前ということについて
ポリネシアの古代遺跡は1000年〜数百年前のものであり決して一万年以上前の民族が作ったものではない。
イースター島がムー大陸の一部だと考えられないわけ
イースター島のモアイそんなに古いものではない。どんなにがんばっても千年どまり。
ポリネシア人の祖先は東南アジアから渡ってきたことが、言語学、民俗学等の研究により明らかになっている。しかも東南アジアに広がり始めたポリネシア人の祖先がポリネシア全体に広がり始めたのはせいぜい1000年前。
熱帯性低気圧の発生地点でもある太平洋の島々では古くから暴風雨や高潮で大きな被害を受けてきた。洪水伝説が生まれるのも当然。
太平洋のほとんどの島は、火山活動で海底が盛り上がってできた「洋島」であり、大陸が切り離されてできた「陸島」ではない。イースターは紛れもなく火山島。またハワイ諸島は現在も活発に活動している火山があり、新しい陸地が作られ続けている。

そして現在出されている結論

残念ながら現在は「ムー大陸は存在しなかった」というのが、考古学者の意見では大勢です。「ムー大陸は絶対に存在した」と主張する人はほとんどいませんが、太古のロマンというか、大昔の壮大な謎という意味では、ちょっと残念な感じがします。しかし、イースターの地に立って、「あぁ、チャーチワードはこの地に立って、ムー大陸を確信したんだな」と思うとなんとも言えない感慨深いものがありました。謎はナゾのままでもいいこともある気がします・・・・。
参考文献
「失われたムー大陸」 ジェームス・チャーチワード著、小泉源太郎訳 大陸書房
「ムー大陸の謎」    金子史朗著  講談社現代新書  など

南北アメリカの世界遺産