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ペルーの世界遺産
【ショートエッセイ】リマの空港ロビーの思い出
今から10年ほど前。初めてペルーを訪れました。独身の気ままな一人旅でしたが、この時のペルー行きはトラブルだらけでした。まず、最初のつまづきは、ペルーに向かう飛行機の中で「ガイドブック・辞書・地図」をなくしてしまったことです。成田-サンフランシスコ-マイアミ−リマと飛んだのですが、2本目のマイアミ行きの機内の前ポケットの中にこれらの重要なツールを置いてきてしまったことに、リマ行きの便の中で気づきました。いつものように、自分の旅のスタイルとして、一切の予約をせず、全て現地に着いてから考えながら決めていたので、手元にあるのは、2週間後のリマ発成田行きの切符のみ。よって辞書やガイドブックは非常に重要な情報源だったのですが、それを失くした衝撃は大きく、一人機内で絶望の淵に立たされた気分でした。そうそう、当然ながらスペイン語は全く話せない状態です。辞書と会話本でなんとかコミュニケーションを取っていこうと決めていた矢先の出来事でした。
しかし、飛行機は定刻通りリマの空港に到着。朝4時という早朝の異国の地に、これからの行動に本気で悩む自分がいました。「何らかの旅行の情報が欲しい!」「でもガイドブックは売っているのかな?」「そっかあったとしてもスペイン語だ・・・」、そんな感じで、しばし茫然自失でロビーに佇んでいると、何やらガイドブックを取りだして読み始めた、自分と同世代の外国人がいました。英語で声をかけて話をしてみると、アメリカ人の若者でした。
事情を話すと「そっか。そりゃ大変だね」と言った後「おれは、これからナスカの地上絵を見に行く飛行機に乗るんだ」「良かったら来る?」と誘ってくれました。自分は大喜びで、そのカウンターに行き、今から乗せてほしいと交渉をし、無事ナスカへ行くことができました。リマーナスカーリマのいわばツアーだったので、参加者は全員、観光客。しかも高価な飛行機利用をする外国人ばかりだったので、そこでまた仲間を作り、リマのホテル情報や、本屋さんの話。マチュピチュへの行きかた、クスコへの交通事情などを聞くことができ、その後、なんとか自分が思い描いていた旅を続けることができました。
思い返してみれば、紛失に気付いたマイアミーリマのアメリカン航空機内でCAさんに声をかけ、捜索してもらえば、少なくとも何日かあとに、空港に届けてもらうことはできたような気もしますし、保険にも加入していたので、携行品紛失で保険金も出たかもしれないのに何もせす、なんとか、その場を過ごすことに精いっぱいだった自分を笑いたくなりますが、今となっては全てが良い思い出です。
ちなみに、10年後。仕事で南米に赴任した自分は、家族を連れて何度もリマの空港を訪れました。ある時、やはり気になって、あのロビーを探してみました。
すると・・・・。イスはほとんどが撤去され、明るく清潔ない雰囲気になっていましたが、現在も同じ位置にロビーがありました。他の人にとっては単なる空港のロビーですが、その中に10年前と同じものと違うものを見つけ、一人感慨にふける自分がいました・・・。
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