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チリの世界遺産

 

【ショートエッセイ】 過去の政治的困難の時期を乗り越えて・・・
チリと言えば、南米でも比較的裕福で、治安も良く、経済活動もそれなりに発展している国との印象があります。銅をはじめとする鉱業が大変盛んな国で、多いときには全世界の7割の銅を産出していたと言われています。2010年に起こったコピアボ鉱山落盤事故は不幸中の幸いとも言える事故でしたが、この鉱山も銅と金の発掘現場でした。また、チリ産のワイン、サーモン、そしてブドウが南米各国のスーパーはもちろん、日本のスーパーの店頭にさえに並ぶことも珍しくなくなりました。こういった元気で明るいイメージがあるチリですが、政治的に振り返ると、困難な時代もあったなぁと感じてしまいます。
 ここでチリの政治的遍歴を全て振り返るのも大変なので、現代に近い部分のみ少し振り返りたいと思います。 1960年代後半からチリは社会主義に傾倒していた時期がありました。キューバ危機が1962年ですので、いわゆる冷戦のまっただ中の時期です。そして社会主義化が決定的になったのは1970年のアジェンダ大統領就任でした。彼はUnidad Popular(チリ人民連合)という左翼政治団体の中心人物で、彼の就任により社会主義政権が樹立されました。彼は民主的に選ばれた世界初の大統領とのことですが、チリの歴史を見ると、世界恐慌(1929)のすぐ後の1932年、ごく短期間ですが社会主義政権が樹立していたように、もともと共産主義に傾倒する地盤はあった国です。しかし当然ながら、超大国アメリカは、第二のキューバになることを恐れ、嫌い、軍部を密かに支援し、クーデターを起こさせます(・・・と私が見聞きしたように書いて良いものか分かりませんが今となっては周知の事実として書きます)。これが1973年9月11日のチリ・クーデターです。(ですから9月11日という日付は、ラテンアメリカでは、アメリカ合衆国の同時多発テロではなく、チリクーデターを指すことも多いとのことです)。そしてアウグスト・ピノチェト将軍を中心にした軍事政権を樹立しました。軍事政権は様々な弾圧を行い、思想の自由を制限するなど、民衆には厳しい政権でしたが、この時期はラテンアメリカの他国も軍事政権が支配しており、時代背景的に仕方ない部分もあったようです。しかし、アルゼンチン、ボリビア、ブラジルなど各国の軍事政権が次々と倒されて民主化されて行く中、ついに1989年の選挙で僅差で負けて、1990年には民主化されました。特に2006年には女性のバレチェ大統領が就任し、貧困対策を実施し大きな成果を上げるなど、ラテンアメリカの中では”政治的に安定している国”として認識されています。
 こうして振り返ってみますと、現在の安定さの裏に、超大国の思惑が入る冷戦のあおりを受けたり、思想的に弾圧されたりと困難な時代があっての今なんだな・・・とつくづく思います。

ラパ・ヌイ国立公園 Rapa Nui National Park (イースター島 Easter Island)