昌徳宮
Ch'angdokkung Palace Complex
ここ昌徳宮は、朝鮮第3代王、太宗5年(1405)に景福宮の離宮として建てられた宮殿です。太宗12年(1412)に正面の敦化門がつくられ、宮殿としての形が完成しました。朝鮮第7代王、世相8年(1463)には、庭園を広げ、その規模が495.780平方メートルに達したこともありましが、現在は宮殿全体の広さが446.984平方メートルです。朝鮮第14代王宣祖25年(1592)に文碌、慶長の役で宮殿が全焼してしまいましたが、朝鮮第14代王、宣祖40(1607)に再建がはじめられ、朝鮮第15代王、光海君2年(1610)に竣工しました。しかし、1623年に光海君を廃位させ、朝鮮第16代王、仁祖が即位した過程で、仁政殿以外のほとんど全ての建物が焼失し、仁祖25年(1647)に再び復旧されました。その後も何度か火災が起き、1917年に大造殿をはじめとする内殿が焼失した際、その復旧のために景福宮の交泰殿と康寧殿を取り壊し、移築したものが今日の大造殿と熙政殿です。1991年から10年あまりに渡って多くの宮殿が復元されました。昌徳宮は、光海君の時から朝鮮第27代王、純宋のときまで、約270年間、王朝の中心宮殿である正宮として使用されました。昌徳宮は、仁政殿と楽善斎、宙合楼など主要建築物が残っているので、朝鮮時代の宮殿の原型が比較的良く保存されていて、また庭園は楼閣や東屋、樹木が調和を成し、韓国伝統の造園の特徴や、美しさを伝えています。(入り口付近の看板の解説より)