プロフィールこのサイトの管理人です。(photo:Valley of Kings EGYPT) |
ハンドルネーム | ブンブン |
生年月日 |
197x年 10月生まれ |
今までの訪問国 |
カナダ(Canada) |
イギリス(United Kingdom of Great Britain and Northern Island) |
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インドネシア共和国(Republic of Indonesia) |
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エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt) |
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オーストラリア(Australia) |
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利用したことがあるエアライン |
ノースウエスト航空、ユナイテッド航空、アメリカン航空、アエロペルー航空、アエロコンドル航空、ヴァリグブラジル航空、ランチリ航空、エァーチャイナ、アシアナ航空、ガルーダ・インドネシア航空、タイ国際航空、キャシィパシフィック航空、フィリピン航空、シンガポール航空、ベトナム航空、トルコ航空、KLMオランダ航空、エールフランス航空、サベナベルギー航空、アリタリア航空、チェコ航空、フィンランド航空、カンタス航空、日本航空(以上24社) |
利用したことがある空港 |
ニューヨークJFK空港(アメリカ合衆国)、サンフランシスコ空港(アメリカ合衆国)、ロサンゼルス空港(アメリカ合衆国)、ワシントンD.C.空港(アメリカ合衆国)、デトロイト空港(アメリカ合衆国)、シカゴ空港(アメリカ合衆国)、トロント空港(カナダ)、メキシコシティ空港(メキシコ)、リマ空港(ペルー)、クスコ空港(ペルー)、サンパウロ空港(ブラジル)、サルバドール空港(ブラジル)、サンチアゴ空港(チリ)、イースター島マタヴェリ空港(チリ)、ジャカルタ空港(インドネシア)、バリ・デンパサール空港(インドネシア)、北京空港(中華人民共和国)、上海紅虹空港(中華人民共和国)、ソウル仁川空港(韓国)、香港啓徳空港(香港・中国)、ウランバートル空港(モンゴル)、バンコク ドン・ムアン空港(タイ)、チェンマイ空港(タイ)、シンガポールチャンギ空港(シンガポール)、セブ空港(フィリピン)、マニラ空港(国際・国内共フィリピン)、ハノイ・ノイバイ空港(ベトナム)、フエ・プーバイ空港(ベトナム)、イスタンブール・アタチュルク空港(トルコ)、ロンドン・ヒースロー空港(イギリス)、パリ・シャルル・ド・ゴール空港(フランス)、アムステルダム・スキポール空港(オランダ)、プラハ空港(チェコ)、ローマ・フィミチーノ空港(イタリア)、ミラノ・マルペンサ空港(イタリア)、ブュッセル空港(ベルギー)、ブカレスト空港(ルーマニア)、ソフィア空港(ブルガリア)、アテネ空港(ギリシャ)、ヘルシンキバンター空港(フィンランド)、オスロ空港(ノルウェー)、カイロ空港(エジプト)、ドバイ空港(アラブ首長国連邦)、チュニス・カルタゴ空港(チュニジア)、ブリズベン空港(オーストラリア)、ケアンズ空港(オーストラリア)、サイパン空港(サイパン)(以上、47空港) |
日本脱出歴 | 第 1回 カナダ (1991) 第 2回 オーストラリア (1993) 第 3回 インドネシア (1994) 第 4回 中国 (1995) 第 5回 サイパン (1996) 第 6回 香港、マカオ (1996) 第 7回 タイ (1997) 第 8回 香港、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、リヒテンシュタイン、スイス、イタリア、ヴァチカン(1997) 第 9回 メキシコ、アメリカ (1998) 第10回 エジプト、アラブ首長国連邦、シンガポール (1998) 第11回 ペルー、アメリカ (1999) 第12回 フィリピン (1999) 第13回 ベルギー、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク (1999) 第14回 チュニジア、フランス (2000) 第15回 ブラジル、チリ、アメリカ (2000) 第16回 トルコ、オランダ、イタリア(2001) 第17回 オランダ、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ポーランド、チェコ(2001) 第18回 イタリア、サンマリノ、ヴァチカン(2002) 第19回 トルコ、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ(2002) 第20回 韓国(2004) 第21回 ベトナム(2004) 第22回 モンゴル・中国(2005) |
概要 | もともとは遺跡・遺産に関係がない理系(理論物理)で、現在もそれを使って仕事してます。昔から出かけることが大好きで、高校2年時には鉄道と船を使って沖縄を除く45都道府県制覇をしたり、車を手にしてからは全国各地を訪れまくりました(主要国道(1桁台はほぼ全て。2桁台の半分+3桁台適度に)の65%、高速道路(90%)は走破済み、鉄道ではJR70%、私鉄50%が制覇済み)。某国立大学在学中にカナダの大学にお世話になったのがきっかけで、海外脱出病が発病。以降、ヒマと時間と資金と職場の先輩と家族の了承をなんとか得ては国外逃亡を企てています。 |
実は |
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