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 アッコ旧市街 Old City of Acre


アッコはイスラエル北部の西ガリラヤ地方にあり、5000年以上の歴史ある町です。この町は、古くは地中海の港湾都市として発展してきました。特にイスラム教が台頭してきてから、ヨーロッパのキリスト教勢力との戦いの尖峰として様々な勢力が支配をめぐって争ってきました。現在の町は主に18世紀から19世紀にかけてオスマン帝国が築いたものです。しかし、近年、この町の地下に、12世紀、十字軍が築いた要塞があり、さらにその奥に、当時の町がそっくり残されていることが発券されました。キリスト教の礼拝堂、脱出用のトンネル、商店街など、当時そのままの姿で残り、十字軍の争いを今に伝える貴重な遺跡となっています。
アッコの名が書物に記録された最初の記録は、紀元前19世紀エジプトと言われています。そののちギリシア神話においてはアッコは英雄ヘラクレスが傷を癒した土地、とされています。 紀元前3世紀にはギリシャ人の入植が始まり、紀元前333年にはマケドニアの戦の天才、アレクサンダー大王が硬貨の鋳造場を設立しました。アレクサンダー大王の死後は、エジプト発の勢力、その後にはローマ帝国による統治と続きます。後にはアラブ勢力が支配し、十字軍が支配し、マムルーク朝、そしてオスマン帝国と様々な民族、宗教を持つ勢力によって支配されました。中でも大きな転機の一つが「十字軍」です。1104年、第1回十字軍によりボードゥアン1世が街を占拠して以来、アラブ世界にあって、キリスト教勢力が支配する土地、ということで、世界にあって聖地エルサレム奪還を目指す神聖ローマ帝国の軍隊と、エルサレムを支配しているイスラム教国との間で何度も何度も激しい戦いを強いられました。1799年にはあのナポレオンもアッコの略奪を試みています。そして、1918年9月のメギッドの戦いによってオスマン帝国による支配が終わり、イギリス領となり、その後、世界大戦などを経て1948年から現在のイスラエル領になりました。現在、アッコ旧市街に多く残る建築物は、13世紀から20世紀初期まで栄えたオスマン帝国時代のもの。そして旧市街の95%がイスラエル領になった後もここに残ったパレスチナ人と言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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