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【世界遺産登録外】ウユニ塩湖 【Non Registration site】Salar de Uyuni

 

 

 

ウユニ塩湖へ行こう!
概要
標高3700mに広がる南北100km、東西250kmの広大な塩の平原。それがウユニ塩湖です。ここは「かつて海底だった場所が、火山活動によってそのまま隆起して水はなくなったが 平原と塩がそのまま残った土地」です。そもそもボリビアのあるアンデス地方は平均的に標高が高く、首都ラパスで3600m、ウユニで3700m、ペルーとの国境にあるチチカカ湖で3800mもありますが、テイワナクの項でも書いたとおり、山間にある平原、それも日本国内の盆地よりももっと規模が大きく、平野になっている場所が多くあります。これはこのあたりがかつて海だったことが影響しています。ちなみにチチカカ湖も塩分濃度がある程度高いこともこれを裏付けています。
ウユニの街自体は塩の積み出しを糧として発展してきた街で、それを輸送する鉄道も大きな役割を果たしました。そのため、塩湖ほとりには古い蒸気機関車が廃棄されている場所があり、観光名所の一つとなっています。近年は塩だけでなく、大量のレアアース(リチウム)などが発見されて、日本企業をはじめとして各国が着目していますが、ボリビアの鉱物は基本的に国の所有物なので、採掘には国の許可が必要で、輸出交渉も暗礁に乗り上げている・・というのは現地ではよく噂されている話です。 なお、日本人旅行者の中では「ウユニ塩湖」と称するのが一般的ですが、現地では「Salar de Uyuni:ウユニ塩原」と称していて、学術的にはこちらのほうが正式だと思います。英語での通称名は「UYUNI Salt Flat」。これもスペイン語と同じ「ウユニ塩原」ですね。
旅行者にとっての
「ウユニ」
今でこそウユニ塩湖といえば、各種メディアで取り上げられて、それなりの知名度はあります。また、世界を旅するバックパッカーの中ではかなり有名な場所。しかし、ペルーのマチュピチュチリのイースター島エクアドルのガラパゴスのような派手さはなく、有名な遺跡や生物があるわけでもなく「ただの平地でしょ?」的な、やや地味な存在だったように思います。またボリビアという地味な国にあることもあり、実際に訪問する日本人はそれほど多くなかったようです。でも、実際に訪問した人からは「絶景だった」「すごく良かった」「是非行くべき」などの賞賛の言葉が多数出るのもこの場所です。
個人的感想
個人的には「超オススメ」。
まさに「絶景」という言葉が当てはまる、非常に印象的な場所でした。まず空が違います。空の青さが「抜けるよう」でいて「上に行くにつれより青くなる」「より濃い」「より宇宙に近い」青です。このサイトの写真では撮影の腕とカメラ・レンズが良くなく(それでもデジタル一眼中級機ですが)、上手ではないのですが、実物は本当に感動する空でした。 しかも夜がまたすごい。360度、全天が天体ショーともいえる、降ってきそうな満点の星空。天の川なんて星が見えすぎて、「地平線に光の川が突き刺さっている」印象すら受けました。星が好きで世界各地で星を見てきた自分ですが、ここの星は、北欧の北極圏で見た星空やアフリカの砂漠で見た星空を押さえて、間違いなく自分がみたベストです。
また、どこまで走っても白い平原(100km×250kmの塩の平原)、水のある場所では鏡となる風景、壁も床もベッドも(ただし布団は別)すべてが塩で出来ている塩のホテルなど、ここでしか味わえない風景がありました。
南米駐在日本人の中での話
「ウユニって行ってみたいけど、高山病が心配」
「まずマチュピチュとクスコに行ってみて様子を見るといいよ」
「ラパスからの道ってどう?」
「雨期のバスは大変だね。アマゾナスが飛んでるから、使えたとしたらそれがいいよ」
「でも、アマゾナスはかなりヤバイ会社だね。遅延・欠航は当たり前みたい」
・・・ということで南米に居住し、現地事情に通じているはずの日本人でも「高山病の心配」「アクセスの心配」から躊躇している人が多いと感じました。
「子連れでウユニ」の工夫
そもそも、家族、しかも小さな子連れでウユニなんて行かないのが普通かもしれません(笑)。でも、ウユニはただの塩の湖。水や岩の高度なアクティビティが待っているわけではありませんので、子連れでも大きな心配もないかも・・・と考えて、小さな子連れで行ってみましたが、唯一にして最大の課題が「体調を崩したときの処置」でした。中でも高山病対策が必須となります。標高4000m近いウユニですから、高山病の危険性は多々あります。しかも、仮にここでひどい高山病になったとしても、行く場所がありません。定期の飛行機は首都ラパスまで。バスで移動する手もありますが、雨期には道路封鎖の危険性もあります。そもそもラパスも4000m近くありますので、そこからさらに移動しなくては低地にはいけないことになります。
・・・と、いろいろ考えると高山病にならないのが一番! 対策は「高山病予防薬を飲む」「コカ茶を飲む」「気分が悪くなって少し休むとき、横になって寝ない」など、いろいろ言われていますが、特に子どもにはこれしかありません。
「絶対走るな」と。
ちびっ子を広い場所に行けば走りたくなるのは当然なのですが、ウチの場合(小学校低学年が2匹)事情を丁寧に話し、特に最初はゆっくり動くようにさせました。不思議なもので滞在1週間もするとすっかり順応し、ボリビア人のおじさんとかけっこできるくらいになりました。 大人の場合も、いろいろな旅行者を見ていますと、老若男女・体力のあるなしに関わらず高山病になる危険性があります。体質を気にしたり、投薬方法も大切なのかもしれませんが、高標高地に来た最初の数日、動きを押さえることが何より重要かと思います。尚、自分の周りの南米駐在日本人ファミリーも何家族もウユニを訪れましたが、やはり小さな子どもが走り回って、高山病になり大変だった、という話はよく聞きました。また、南米の本社または支店を置く、多くの日系旅行会社も「ウユニに子連れは無謀です」と回答する旅行社が大変多いということも申し添えます。
自分のプラン
旅行会社に縛られた動きをするのがキライな自分は、例によって当初は「全くのフリープラン」で考えていたのですが、
@フライトの絶対数(便数・座席数)が少ないこと。
Aウユニでの移動手段=ドライバー付きの車を借りる必要性
などが判明して、結局、フライトだけは事前にとり、しかも訪問前日に、電話(ラパス市内のホテルのWifi電波を使ってパソコンのスカイプ電話)で(ガイドブックから適当に選んだ)旅行会社に「明日行きたいけど?空港まで迎えに来てもらえますか?」と電話して、「あとはその場で考えよう」と、現地に向かいました。 具体的には
1日目 ラパス発のフライトでウユニ着。旅行会社で簡単な相談をしたあと、車で「列車の墓場」-「塩の工場の村」-「魚の島」(昼食)-水が湧き出しているところ-塩のホテル(泊)
2日目 塩のホテルでゆっくり-車で「火山」-「塩湖のいろいろ」-塩のホテル着
3日目 塩のホテル着-ウユニ市内-空港へ-フライトでラパスへ
という日程になりました。
ウユニへのアクセス
まずどこかを経由して首都ラパスに入るのが一般的でしょう。ボリビアの国力の問題もあり、近隣諸国からのアクセスも貧弱ではありますが、それなりに便数もあります。ラパスからウユニまでは、数年前まではバスが一般的でした。 しかし、雨期には道が封鎖されたり、時折政情不安が原因で閉鎖される場合もあるとのことで、心配が残ります。

アマゾナス航空にまつわるあれこれ
ラパスーウユニ間を空路で結び始めた航空会社アマゾナス航空。私たち旅行者にとっては、まさに待望の路線です。ところが・・・・。このアマゾナス航空。正直言ってかなり心配な会社です。個人的感想では、世界中で自分が今まで利用してきた50数社の航空会社の中でもワースト5にランクインする会社です。少なくとも自分が利用した2012年8月はそうでした。
 「ウユニ行きは飛行機が小さいからすぐに満席になるってよ」。そんな噂を聞き、あせってwebサイトを探し始めてのが渡航2ヶ月前。サイトの雰囲気的にすでにかなりの予約が入っていそうな感じがしましたので、「これははやく日程を決めて予約しなくては」と、早速プランを練り始めたのですが、なぜかサイトがかなりの頻度でダウンして見られないのです。「これでも航空会社?」と思えるほど、404エラーが頻発していました。
 それでも他に方法がないので粘り強くアクセスしていますと、すんなり予約画面が出た時がありました。「よしよし、これで予約しよう」とクレジットカード番号も含めすべての情報を入力し、予約ボタンを押したとたん、予約完了とともに、その瞬間にクレジットカードから引き落としがされました。「予約確認メール」「Eチケット発行」などの前に!です。本人が入力し、同意したものなので間違ってはない気もしますが、日本の契約に関する法律から言えば「再確認」は必須なので少々あせりました。 その後、自分の予約を確認すると「アクセスできません」と出たり、サイト表示が消えたりしましたが、最後には「予約済み」と表示されたので少し安心して現地に向かいました。
 さて、ラパスに着き、明日ウユニに出発と言う時、心配になり、ラ・パスのエル・アルト空港のAMAZONAS空港カウンターに行き予約再確認(リコンファーム)をしてみました。意外にもお姉さんはてきぱきと処理し、すぐに予約が生きていることを確認し「予定通り7:00発です。2時間前の5:00には来てください」と返事が返ってきました。
 「なんだ、アマゾナスやるじゃん」と思ったはその一瞬でした。
ラパス市内に移動し、ホテルに入り、メールをチェックしたらアマゾナスからメールが届いています。 「明日の7:00発の便はキャンセルされました。10時発になりますので8時には空港にきていてください」。「あれ?30分前に、カウンターの姉ちゃんが言っていたのはなんなんだ?」と思いつつ、翌日時間通りにカウンターに行きました。
 搭乗手続きはすんなりできましたが、出発ゲートに出発時刻が表示されません。結局搭乗は1時間遅れ、機体の出発は2時間遅れでした。しかも小さな飛行機で、満席のはずですが、見るといくつかの席が空いています。「乗りたい人が大勢いるのに、どうして開けておくんだろう」と、よくよく観察してみると原因が判明しました。上部にある荷物入れ(ヘッドラゲッジコンパートメント)下部に着いている緊急用酸素マスク部分が故障したままなのです。つまり安全装置の不具合のある場所は座らせてないということのようでした。故障したまま飛ぶのは不安(というより法律違反)ですが、故障箇所を修理しない飛行機も不安です。
 それでもフライト自体は不安になることもなく、ほんのちょっとした機内サービスまであり、心配を感じませんでした。
そうそう言うのを忘れていましたが、ネット予約時、午前2便あったフライトは、現地ではすべて1便扱いになっていました。つまり、スケジュールもあてにならないということです。
ウユニ-ラパス間の移動
復路、ウユニーラパス間もなかなかのものでした。 ウユニ市内のアナゾナスオフィスは、なんとかレストランの下のスペースですが、そこでチェックインすると、ボリビアチックな超おんぼろバスで空港まで連れて行ってくれます。(たしか100円程度払った気がします)。「こんなぼろバスに乗客が乗るんだ」と思ったのもつかの間、最後にはスタッフも書類などを持って乗り込み空港へ。空港に着くと唯一の備品らしい体重計を取り出し、あとは机の上で紙とペンを使った搭乗手続きをします。出発時間は当然、数時間遅れました。   とはいうものの、自分たちはまだ良い方です。ウユニで会ったある人は「アマゾナスのサイトを見ると、ウユニ-クスコ間の予約も受け付けていたからそこで予約し、カードから引き落としもされたんだ。だけど出発直前に詳しい人から、『アマゾナスのクスコ線なんて飛んでいないよ。路線開設の申請が出されたって話はきいたけど、機材もないよ』と聞き、急いでメールで問い合わせても返事なし。でも飛んでいないことは確からしいから、キャンセルしようとしたんだけどできない。仕方ないから別路線で高いチケット買ってきたんだ。でも、引き落としは全額されているから、とにかくカウンターに行って払い戻しをしてもらいたいんだけど・・』」。この後の話を聞いていないのでどうなったのか不明ですが、とにかくすごい会社です。
写真ギャラリー1
写真ギャラリー2
写真ギャラリー3
見渡す限り広がる塩の大地


ここは塩の精錬工場に近いエリア
訪れたのは乾季でしたが、一部は水が張っていました。
空が、、、限りなく青いです。冗談抜きで標高4000mの澄んだ空気は、宇宙に近いと思いました。
水の青と、空の青に圧倒されます。ちなみにここはウユニの街とは反対側のトゥヌパ火山(Tunupa)のふもと、コクエサ(Coquesa)近い場所です。乾季ですが水があり、鏡面の世界が広がります。
反対側の山がなんとなく見えるでしょうか?100km×250kmという広さの塩原ですので少なくとも100km以上は遠くの山ですが、空気の透明感もあり、しっかり見えます。
場所によってはこんな模様が見られます。
夕焼け。何にも遮るものがない夕焼けは言葉にならないほど絶景でした。
見ている瞬間・瞬間に色が変化していきます。
夕暮れをトラックが走ります。
塩の大地に立ってみました。
塩湖の相棒。トヨタ、ランドクルーザー。自分が行った時、見かける車のほとんどがこのランクル80系ワゴンが中心でした。「日本の中古かな?」と思いいろいろ観察しましたが、メーターがマイル表示でしたので、北米の中古を輸入している感じです。ちなみに高地ですので酸素濃度が低く、ディーゼルでは馬力が出ずすべてガソリン車になっています。
満点の空。ウユニの魅力がこの「世界観が変わるほどの星空」。ただし、撮影の腕と機材が悪くブレブレの下手くそ写真になっています(馬鹿なことに三脚を持ってこなかったのです!)。ちなみにこれは塩のホテル(詳細はこのページの下部)の客室から撮ったもの。
あまりの美しさにホテルの部屋の外に出てみました。完全に360度すべてが、超絶に美しい星空に囲まれてしました。プラネタリウムというより「宇宙空間ってこんな感じなんだよな」と思える風景が永遠に広がっていました。この星空を見るだけでも、ウユニを訪れる価値は絶対にあります!
まさに「地平線に天の川が突き刺さっている感じ」です。乾季は鏡張りが見られない代わりに、この澄みきった空が魅力だそうです。昼間は完全に青い紺碧な空、夜間は壮大な星空と、乾季のウユニも魅力満載です。
トゥヌパ火山(Tunupa)近くで見たフラミンゴ。
上のOJOS DEL SALARの反対方面に位置するトゥヌパ火山(Tunupa)のふもと、コクエサ(Coquesa)への入口。
上のショットの反対側。背後にはトゥヌパ火山が見えます。ウユニの街からも非常に遠く、観光客も少ない場所のようですが、ここは乾季でも水が張り、鏡面張りが見える場所です。また野生のフラミンゴもいます。この奥に進むと、Tambo Coquesa Ecolodgeというホテルもあるそうです。
トゥヌパ火山(Tunupa)への入口。ドライバーさんいわく、少なくとも1日、できれば2日かけてトレッキングしたほうがいい場所とのこと。すごくきれいな場所らしい・・・・。
塩湖を訪れる観光客が必ず訪れる「イスラ インカハッシ Isla Incahuasi:インカの家の島」。広大な塩湖の中に忽然と存在するサボテンの岩山です。
この場所をドライバーも、ツアー会社の主人も「イスラ デ ペスカード Isla del Pescado:魚の島」と呼んでいました。でも魚島は地図をみれば隣の島のようです。う〜ん、よくわからない。
ここで昼食兼、山見学の時間になります。山に上るのは有料です。
レセプションハウス。ごく簡単なレストラン併設。
山の入口におかれた「健康的なダイエットのキーとなる要素は・・・」というなぜここに書かれているか謎な看板。しかも、文法的に間違っているんじゃないの?って気が・・・。そもそもボリビア(というか南米)で英語の看板を見ることなんてまずないので別な意味で貴重かも。
レセプションの隣が山の入口。奥に見える国旗が掲げてある山も登れます。
ドライバーのお兄さんは"魚の島(Isla del Pescado)”って呼んでいたくせに、看板にはイスラ インカハッシ (Isla Incahuasi:インカハッシの島)と書いてあります。そして、この地図からすれば魚の島はやっぱり隣の島の名前っぽいです。
インカハッシとは、インカの家のことだそうです。昔、ここが物流の目安になったことからこの名前がついたとのこと。
上の図の左上の拡大図です。ボリビアの国の中での位置がわかります。
衛星写真もありました。100km×250kmもある塩湖の形が分かります。
要するに「ようこそ。ちゃんと入場券買って、風景を楽しんでね」と書かれた英語の看板。またまた文法が間違っている気がするのは気のせいです。ちなみにウユニ塩原ではなくトヌゥパ塩原(Tunupa Salt Flat)って言っています。これもここの名称の一つです。
多数のカクトゥス(Cactus:サボテン)。かなりの年代物が多そうです。
ここでランチタイムです。100km四方の塩湖の中ですから、すべての食料は、事前に車に積み込んでありました。そうそう、自分たちの車にはアメリカ人とチリ人のお姉さんとお兄さんも同乗していました。証券会社の社員でラパスに住んでいる彼女のところに遊びに来たところだそうです。日帰りでラパスに戻ると聞き、びっくり。飛行機は変な時間しか飛ばないので、(聞きそびれましたが)どうやって帰るんだろう?
他のツアーもみーんなここで昼食のようです。考えてみれば他は塩ですから、基本的に「ここか」「塩の上か」「車内か」しか選択肢はなさそうです。
これはTunupa火山へ行った2日めの昼食。内容的には1日目も似たようなものですが、パラパラの白いご飯と、大きなチキン(冷めているけど柔らかい)、きゅうりとトマトのみ。でもこれで十分おいしい。
島の山の部分の様子。サボテンがぎっしり。4万年前に火山でできた島らしい・・・。
サボテンに看板が付いていました。「cactu milenario」
大きさ 12メートル 3センチ
推定樹齢 1203年
倒壊した年月 2007年12月
"紀元サボテン"とでもいうのでしょうか? その内容にもびっくりです。でも「1200年は分かるけど1203の03って何?」って突っ込んでみたいボク・・・
巨大なサボテンもありました。
ウユニの街から、コルチャニ(Colchani)村を抜けて、塩湖に入ります。塩のホテルから数キロの距離なので、つい散歩してみました。そのラインは交通量も比較的多いため、短距離ですが舗装されています。その道のわきにあった小屋。塩のブロックでできていますが倒壊しつつあります。
上の小屋の近くになにかの石碑がありました。近づいてみると・・・。
慰霊碑でした。そこには「2008年5月1日にここで交通事故であり13名の方が亡くなった。その冥福を祈り安全を祈念する。亡くなったのは日本人5名、イスラエル人5名、ボリビア人3名。その氏名は・・・」と。あまりにもびっくりしてしまったので当時の報道を調べてみますと、日本人グループの方はこれからツアーに行くところで、5人+運転手の方+ガイドさんが乗っていたそうです。イスラエル人のグループは5人+運転手+料理人の7名で3日間のツアーを終え帰るところ。時間は午後3時。2台の車は正面衝突し、爆発・炎上してしまいました。前述のとおり車の燃料はガソリン。しかもツアーに出る際は必ず満タンにしますので大量のガソリンを搭載していたはずです。日本人の運転手さんはウユニ最古参のベテラン運転手だったそうですが、遺体からはアルコールが発見されたらしい、そしてイスラエル人の運転手さんは唯一助かり病院で手当てを受けたらしい・・と報道されていました。
・・・異国の地で命を落とされた方々、そしてそのご家族の方を考えると本当に心が痛みます。
・・・・心よりご冥福をお祈りしました。
OJOS DEL SALAR :塩湖の眼と呼ばれる場所。 水が湧き出しています。ここは常時水が湧き出しているみたい。
乾季でこうなら、雨季はどうなるんだろうとふと思ってしまう光景
今も生きている大地を感じます。
さて、ここからは「トリック写真」。ウユニを訪れる観光客は、何らかのトリック写真を撮ろうと頑張るようです。つい、自分たちも撮ってしまった写真を紹介します。
題名「つぶしってやるぞっ」
基本的に人物の(しかも自分や家族の)写真は載せない主義ですが、ここではどうしても人物を載せないわけにはいきません。そこでいきなりですが方針を大転換して、人物を載せてしまいます。
題「兄より大きい弟」
「ジュースに乗る」
家族で作る怪獣三部作
1「怪獣がきたぞ」
2「さぁにげろー」
3「やっつけた!」
ってドライバーのアントニオに言われたままに動いていたらこんな写真が撮れていました。撮影も彼ですし怪獣のおもちゃも彼が持っていたものです。そうそう、ちなみに事前にチップを弾みました。日本人旅行者はチップをスマートに渡せない人が多いと聞きますが、必要経費と捉え、さりげなくきちんと渡したほうがいいと思います。
「カメハメ波〜〜」
これもアントニオに「こうやってみな」と指図されました。
「おっとっと」
「ビールの缶の上にて」
塩の精錬と観光客用マーケットのあるコルチャニ(Colchani)村です。
コルチャニは小さな集落ですが、塩湖に面していて、かつ鉄道駅もあり、ウユニも街へ向かう途中なので、たくさんの小規模な精錬工場があります。i
積み上げられた塩、岩塩のブロック。おそらくどこかの建築資材として使われると思います。
コルチャニ市場(Colchani market)にはボリビアの民芸品が所せまし、と並んでいます。そうそう、ここでは精錬後の塩も売っていました。50g程の子袋で10円程度。(安っ!)
コルチャニ村の様子です。建物の壁は岩塩です。
コルチャニ村へ塩を運ぶトラック。

そうそう、コルチャニ村には博物館(MUSEO)がありました。入場無料。中にあるのは・・・。

うーーーん、なんだろう。微妙です。
さて、広大なウユニを回るには宿泊をしないと難しい。まず有名なのが塩湖の中に建つホテル プラヤ ブランカ(Hotel Playa Blanca)。
はじめはここに泊まろうと考えていましたが、電気も暖房もないと聞いて、子連れには厳しいと判断し、下記の塩のホテルに泊まることにしました。
ホテルの前には、各国の国旗がはためいています。
全体の雰囲気とすればこんな感じ。
日本の国旗もありました。あたりまえですが日本語メッセージがとても印象的です!
夫婦で切り盛りしている・・・と聞いたのですが、だれもいない雰囲気でした。
「ボリビアのウユニ塩湖」と段ボールの看板でお出迎え。考えてみればここまでストレートに書いてある看板はこれだけかもしれない
英語で「おしっこするな、あんたをみてるぞ。塩湖を大切にしろ」とあります。スペイン語では「トイレ 大人20Bs、こども10Bs」。
スペイン語で「ポイ捨て禁止」。たしかにこのホテルの中には入らないけど、各国の観光客が必ず寄って行く場所なので、こういう看板が必要なのかもしれないと思いました。
裏の様子。本当に塩湖の中にある建物です。
上のプライヤブランカをあきらめた自分たちが宿泊した”塩でできている”ホテルクリスタルサマンニャ(Hotel Cristal Samaña)。ちなみに塩のホテルは3か所あり、他にはホテル ルナ サラダ(HOTEL LUNA SALADA)、パラシオ・デル・サル( Hotel Palacio de Sal)があります。
このホテルは塩湖のギリギリ縁の部分(本当に水があればほとり)に立っています。塩湖が始まり数キロの部分です。ただしウユニの街からは遠く離れていて、車で30分以上かかる場所にあります。
Hotel Cristal Samaña正面。さて本当に塩でできているのでしょうか?
レセプションの様子。床は白いざらざらとした塩、机も、壁も、天井も雪だるまのようなオブジェも、本当に塩でした!
客室の様子。床、天井、壁、そしてベッドなどすべてが本当に塩でできています。
客室に向かう廊下。下はまるで白い砂のように、塩が敷き詰めてあります。壁はしっかりとした岩塩のブロックでできています。真ん中のクマのオブジェもやっぱり塩でできていました。
窓枠の部分です。塩でできた壁に杭を打ち、カーテンを止めています。
気になる、トイレ・シャワーですが、シャワー室には壁が溶けないように厚手のビニールが張り付けてありました。
外には、建築材料 兼 食品である塩が大量にありました。

夕飯です。外はただひたすらの塩の世界なので、ご飯はホテルで食べます。意外や意外、きちんとした、大変おいしいものがでてきました。

パン、メインのお肉の他にとうもろこしのスープもでてきました。
別の日の夕食。ささやかですがデザート付のフルコースです。
実際に寝ている様子。塩の土台は固いはずですが、その上にふかふかのリャマの布団が大量にのっているため、暖かく、最高の寝心地でした。デジタルガジェットだらけの自分はACコンセントが付いているのも助かりました。完全に普通のホテルです。
廊下にあったベンチ。当然、塩です。
朝食の様子。「こんな塩だらけの世界に、どうしてこんなにおいしいものがあるんだろう」と思うくらい、普通の朝食でした。
ここからはウユニの街の様子を見ていきましょう。これが駅前の様子。鉄道で発展した町なので、かつての鉄道遺物がオブジェとして道路の真ん中に転がっています。
ウユニ駅。これでここに来ることもできそうですが、何本あるのか、そもそも乗客の扱いがあるのか、確認できませんでした。
基本が、塩湖の資源を輸送するための鉄道なので貨車が大量に置いてあります。
まさに「塩を運びましたよ」という車両。
実は、自分が到着した日はボリビアの独立記念日で、それを祝うパレードを行っていました。
女子高生が正装で歩いていきます。
ウユニ市内の様子。ウユニ駅前大通りです。
ここが、今回自分が頼んだHODAKA TOUR。すごく小さな旅行社ですが、ウユニではこれが基本。急に電話をして頼みましたが快く引き受けてくれました。聞けば同業者はどんどん増えていて、現在は80近くもあるそうです。
空港から、とにかくこのオフィスに連れてこられて、その場で大まかな日程と宿泊先を相談しました。どこもととても小さい会社ですので、ツアーをお願いする際は、直接行くか、または電話でのやり取りが安全確実のように感じました。メール程度ならばどこも大丈夫かと思いますが・・・。
これがHODAKAの主人。気さくでとても良い方でした。奥さんと二人で経営している感じです。基本スペイン語のみ。(でも、もしかすると英語も少し話せるかもしれません)
朝になると、客を呼び込む人、それにつられる人、これから塩湖に行く人などで、駅前通りは活気を見せます。そうそう、旅行会社の人は英語が話せる可能性がありますが、ドライバーはまず話せません。どうしても心配ならば英語の話せるガイドさんを別にお願いしたほうがいいと思います。
HODAKAの前にあった地図。南米ではこうした地図も重要な情報源です。(パンフレットの類があったら奇跡です)
ウユニを回る時に必要なサングラスや防寒具、日焼けどめは市内で買えます。時間によってはこんな両替所があいていることも。ただし営業しているかどうかは別問題ですので、あまりあてにしないほうがよさそうです。
塩湖から市内に向かう原野にリャマがいました。
これが野生なのか、誰か飼い主がいるのか分かりませんが、好き放題に歩いています。
なかなかの雄姿です。
「Cementerio de Trenes」にて。英語でいえば Train Cemetery つまり”列車の墓場”。
ここはウユニ塩湖ツアーで必ず訪れる場所です。
19世紀後半、イギリスが太平洋へ塩を運び出す鉄道網を整備しました。しかしその後、チリとの領土戦争が勃発し、結果的にその路線を失ってしまったボリビア。
結局その時のイギリス資本が、鉄道の技術供与や資産移譲を全く行わず放棄していった結果が、これらの残骸です。
誰が作ったか、ブランコも。
当然ながら誰が管理しているわけでもないので、すべて自己責任で回る”墓場”です。
「Aeropuerto de Uyuni」、ウユニ空港です。2011年の6月に完成(?)したばかりの空港です。
空港コード(IATA code)はUYU、標高3954mにあります。滑走路は4000mもあるらしい。
空港ターミナル内部。でも・・・・「これ、本当に完成しているんだろうな?」と確認したくなるほど、すべての完成度は低く、工事がやりかけです。
Amazonasのカウンターの上には「乗客は、絶対に少なくとも24時間前にリコンファーム(予約再確認)しなさい。そうしないと席の確保は保証しません」なんて素敵な文章が書いてあります。
アマゾナス航空がラパス-ウユニ間を結んでいたのはボンバルディア(Bombardier) CRJ200。乗客50人乗り。初飛行が1991年、最大航続距離3000kmのリージョナルジェット機です。
これがウユニの町の中のアマゾナス事務所で発券してもらった”手書きの”搭乗券。
機内の様子。写真手前の席に赤いテープが張られているのがわかるでしょうか?これは「使用禁止の席」。予想するに酸素マスクなどの安全装置などの不具合で使用禁止にしているのだと思います。
ウユニの町にある[AEROPORT:空港]の看板。こんなものがなくたって、他に何もないんだから、分かるって。
空港の建物の外にたてられた、空港にある唯一で最大のトイレ。もちろん水洗などではありません。日本の建築現場にあるレンタルトイレをすこし大きくしたもの、といえば分かるでしょうか?
これが、ウユニの町と空港を結んでいる”オフィシャル リムジンバス”。日本円で100円程度、時間10分で市内と結びます。ちなみに今は市内オフィスで預けた荷物を積みだしているところ。
空港ターミナルビル、2階の様子。窓枠にガラスが入っているのが不思議なほど、「建築中だけど、今は放棄しています感」がいっぱい。
トイレのすぐ裏にある、「空港専用気象観測装置」らしき物体。もちろんただの百葉箱です。当然ながら内部はカラで何もありません。遠くに見えるのは、「形だけできた管制塔」です。建築物としてはかろうじてできているものの、これと同じく中身はカラです。
これがウユニ市内にあるアマゾナス航空のオフィス。オフィシャルバスも目の前に停まっています。見た目は立派でも中はただの事務所です。
バスの内部。南米のローカルバス、そのまんまです。
アマゾナス機内から見たウユニ塩湖。恐ろしいくらい真っ白です。
火山が見えました。いつか登ってみたい・・・。