ペトラ Petra
【遺跡の概要】
ペトラは、紀元前3世紀ごろ、北アラビアを起源とする遊牧民族ナバテア人( Nabataeansまたは Nabateans:ナバタイ人との表記もあり)によって栄えた隊商都市遺跡です。紀元前312年ごろ、正確には少なくとも2000 年以上前、現在のヨルダンに定住したアラブ人の一族ナバテア人は、切り立つ岩壁を削り、大都市をつくりました。砂と石の厳しい環境の砂漠地帯で、かつての遊牧民たちは交易による活路を見出しました。そうした中で、力を持ち、富を蓄えてきた民族の一つがナバテア人だったといわれています。紀元前3世紀ごろ、中東の砂漠地帯の岩山に首都を築いたのも交易地としての利便性を考えての立地だったのでしょう。この地はかつて、絹や香辛料などを、中国、インド、アラビア南部とエジプト、シリア、ギリシャ、ローマを結ぶ重要な中継地点にあたり、交易都市として大いに栄えました。しかし、海洋交易に代表されるようなより効率的で大量に運べる別のルートが開拓されると、ペトラはその役割を終え、衰退の一途をたどりました。加えて363年には大地震により多くの建物が倒壊。その後ローマ帝国の侵攻、そしてキリスト教の盛隆と共に街はさらに衰退。6世紀ごろには廃墟同然となりました。7世紀にイスラム軍が到来し、12世紀に十字軍が砦を造った以外は人々の記憶の中からも忘れられていきました。ただ砂漠に住むベドウィン族が、ひっそりと暮らすようになりました。
「砂漠の中に、忘れ去られたかつての大都市が眠っている」。そんな噂はありましたが、この街が再び歴史の表舞台に立つのは1600年後、19世紀になってからです。正確には1812年8月22日にスイス生まれの探検家のヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルト Johann Ludwig Burckhardt はアラブ人、シェイク・イブラヒム・イブン=アブダッラーと名を変え、中東の地を旅していました。そうした旅の途中で、ここペトラを発見したのです。彼はスイス人でしたが、アラビア語を完全に会得し、イスラム教のクルアーン(コーラン)やシャリーア(イスラム法)に精通した東洋学者で、地元の人に怪しまれないように行動し(一説によるとイスラム教に改宗して)、ここを見つけた、と言われています。その後、彼の報告に刺激された大勢の西洋人がここを訪れ、少しずつペトラの都市遺跡の様子がわかってきました。しかし、総面積900万平方キロ、東京23区の1.5倍という敷地はあまりに広く、調査が終わった部分は10%以下という話も伝わっています。
【ペトラ(
Petra)の語源】
ペトラという言葉の語源は
ギリシャ語の πέτρα (ペトラ)からきている、というのが一般的解釈です。意味は英語でいうならば Stone 、つまり”石”ってことですね。ちなみに何かの本で「ペトラはギリシャ語で”崖”の意味で・・・」と書いてあるものがありましたが、ギリシャ語で"崖"は γκρεμός(クレモシュ)という言い方が一般的ではないかな?と思いますので、個人的には単純に”石”の方が正しいと思います。・・・・もっと余計なことを言うと、ペトラ、という言葉自体、言語学的には”ロマンス諸語”の表現と似ている気がします。・・えっと、きちんと語る知識がないのですが、それでも少し書いてしまうと、世界の言語体系を考えたとき、インド・ヨーロッパ語族の2大勢力、英語、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語、アイスランド語、ノルウェー語などの”ゲルマン諸語”に対し、フランス語やスペイン語、イタリア語、ポルトガル語などを”ロマンス諸語”(このロマンスとは、ローマ由来の、という意味。現代日本語のロマンスとは全く違います。念のため)と称するのですが、いわゆるラテン系のこれらの言語の”石”というのが、”ペトラ”という響きに非常に近い気がするのです。例えば フランス語では
pierre (ピエール) 、イタリア語では
pietra(ピエトラ)、ポルトガル語では
pedra (ペドラ)など、音的にも文字的にも非常に近い言葉が並びます。さらに言うと、例えばバチカンの大聖堂、聖ピエトロ寺院や、フランス人の人名ピエールさんは、やはりここが語源となります。もっともっと言うと、ロンドンのセントポール寺院も、ブラジルの大都市、サン・パウロも語源はここになります。理由は(諸説あるのですが)この”ペトロ”はイエス・キリストの最初の弟子、といわれる人で、十二使徒の中で首位で、イエスに最も愛された弟子の名前、と言われているからです。ペテロはイエスの死後、エルサレムやパレスチナ各地で伝道を行い、ローマで殉教しました。「天国への鍵を授けよう」というイエスの言葉とともに、パウロの墓の場所は今、バチカンと呼ばれるカトリックの総本山になっています。
余分な話ついでにもう一つ。英語、特にイギリス英語で、ガソリンのことをぺトロール
Petrol
といいますが、この言葉も語源は一緒。Petraとはラテン語で”石”
を意味する、というのも正しいのですが、その語源は
古代ギリシャ語で πέτρα(ペトラ) だそうです。
さすが世界有数の観光地。google mapで詳細を見ることができます。以下の本文記事と照らし合わせながら見ていただければ全貌がつかみやすいと思われます。
それではいよいよ遺跡の中に入っていきましょう。
ここまでは、まだ平地のエリア。砂漠ではありませんが、本当の街がある岩山エリアではありません。ペトラの街は、ここから岩山の隙間の通路シークを抜けたところにあります。ここはいわば「本当の街への入り口」ですね。
シークを1.5kmほど歩くと、素晴らしい光景が広がります。それが、ここエル・ハズネ!
エルハズネはあくまでもペトラの入り口にある建物です。日本人にわかりやすい言い方をすれば、ペトラ全体を一つの寺社ととらえると、シークという参道を抜けた後に来る「鳥居」や「南大門」のようなものが、この宝物殿。そしてそのあとしばらく行くと本堂とその周辺が出てくる・・・のような感じです。