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 アムラー城  Quseir Amra القصير عمرة

アムラー城 Quseir Amra は ヨルダン・ハシミテ王国 المملكة الأردنيّة الهاشميّة  Hashemite Kingdom of Jordan にあるイスラムのカリフによってつくられた離宮です。世界最古の世襲イスラム王朝、ウマイヤ朝 بنو أمية‎ Banu Umayya(661年 - 750年)の王・カリフが、征服地の警戒のための警備施設として建てた・・・と表向きは言われていますが、実際は、厳格なイスラム教の戒律を嫌って、人々の目の届かない場所で、快楽を享受するための離宮、と考えられています。
 この地は、現在の首都、アンマンから東に80kmほど行った、イラクに向かう幹線道路、国道40号沿いにありますが、8世紀ごろも重要な交易路にありました。この国道40号は、イラクとヨルダンを結ぶ一番大切な道路でバグダッドまでまっすぐ続いいています。
日本語では、アムラー城、アムラ城と称されますが、英語表記ではQuseir Amra クサイラ・アイラ。 付近には同じくウマイヤ朝の城郭が30か所ほどありますが、ここは最も保存状態が良いものの一つと言われています。
 ここが非常に価値があるのは、厳格なイスラム世界の中で、まったく違う世界観が形作られている建物、ということです。ウマイヤ朝ということは、イスラム成立直後に近く、より厳格な世界なのかと思うのですが、実はこんなイスラムで禁止されている飲酒、女性の姿など、イスラムの戒律に全く反している壁画がある、ということが何よりすごいと思われます。
 この建物は謁見の間と浴場とに分かれています。謁見の間の壁や天井は、モザイク画やフレスコ画で、女性(踊り子や裸婦)や神話、狩猟などが描かれいます。また浴室や脱衣所、サウナ室にも描かれています。
 今、イスラム原理主義の過激派組織の存在が世界的にも大きな問題になってますが、イスラム王朝のカリフでさえも、裸婦を描いた浴場を作っていたという事実は、イスラム教の変遷を考える意味でも非常に重要だと思います。

【・・・と偉そうに書いていますが】
実は、この時、他の見学地「洗礼の地「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」 (アル=マグタス) Baptism Site “Bethany Beyond the Jordan” (Al-Maghtas)」」を見るのに予想以上に時間がかかってしまって、営業時間のちょうどギリギリ、間に合わない時間に到着、ということをやってしまいました。上記、「洗礼の地」はとてもよかったのですが、あまりにもまずい場所で全てガイドに従わなくてはならない、ということもあり、かなりの時間を費やしてしまったのです。洗礼の地を見学後、すぐにアムラー城に向かったのですが、道は空いていたものの、意外と距離があり、到着の10分前には閉まってしまいました。それでもせっかくなので、外側からだけでも写真を撮り、帰ってきました。
 よって偉そうに書いてありますが、内部は見られていません。ただし、現地へ行ったことは確かなので、一応ページにはまとめさせていただきました。