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 リラ修道院 Rila Monastery Рилски манастир

ブルガリアの首都ソファから120km。リラ山脈の奥地にこの修道院はあります。起源は10世紀、イヴァン・リルスキーという修道士がこの地で隠遁生活を始めて以来、と伝えられています。現在のような形になったのは、14世紀。王の庇護を受け、僧院施設・文化が整えられて以来とのこと。こんなに壮麗に見える大修道院も14世紀の大地震や、1833年の大火災など様々な苦難がありました。14世紀の僧院文化発展の後、500年にも渡りブルガリアはオスマントルコ帝国の支配下に置かれ、大変な受難の時を過ごしました。当時はキリスト教を信仰することは勿論、ブルガリア語の書物を読むことすら禁止されていましたが、ここの僧院だけはそれが黙認されていたといいます。その当時ここの360の僧坊には全国から僧が集まり、密かにブルガリア正教を守り続けてきたそうです。そして現在、ここはブルガリア正教の大本山であり、ブルガリア最大の寺院ともなっています。
ここへの移動の詳細は
「レンタカー実践例
 
ブルガリアで セアト イビサ SEAT IBIZA を借りてみた 」

を見てください

 

【国際列車 Международен влак】
行きにくい場所ですので、自分の行動を含めて少し前後から紹介します。
自分は隣国ルーマニアのブカレストからソフィアに入りました。写真がブカレスト北駅Bucure?ti Nord Gara。旅情あふれた旧共産圏の駅ですが、治安的はやや不安。
【国際列車 Международен влак】
この列車の切符の購入がすごく大変でした。「前日までならルーマニア国鉄本社窓口で、当日なら駅構内でのみ販売」でしか売ってくれませんでした。自分は前日に本社窓口に長いこと並んでようやく(確か日本円で9000円程度)で1等寝台をとりました。
【国際列車 Международен влак】
車内の様子。個室寝台でした!。室内にはこのイスもありますが、上にベットもあります。旧ソ連で作られたがっちりとした車両で、とにかく広くて快適な車内。自分は(お金がなくて)日本の個室寝台列車に乗ったことがないのですが、日本で標準的だった24系25型のA寝台個室よりもかなり広い室内だと思います。
【国際列車 Международен влак】
途中駅での様子。いろいろな人間ドラマが垣間見られます。やっぱり鉄道はいいですね!
【国際列車 Международен влак】
こんな階段を上ってベッドにいきます。テーブルの下は洗面台になっているのは日本の車両と一緒です。
【ソフィア中央駅 Централна железопътна гара София】
ソフィア中央駅 Централна железопътна гара Софияに着きました。直線で400km程度だと思うのですが、所要11時間程度でした。ここまでこんな機関車が引っ張って来てくれました。
【ソフィア中央駅 Централна железопътна гара София】
列車も長いので自分の車両から先頭車両まで行くのも一苦労。大きなバックパックを抱えて列車の写真を撮る東洋人は珍しいらしく、奇異の目で見られましたが気のせいです。
【ソフィア空港 Летище София】
上でも書きましたが、レンタカーを借りたのですが、そのオフィスを探す手間と、返却の時の道のりを考えて、空港営業所から借り出しました。ソフィア空港はヴラジデブナ空港 とも呼ばれます。ブルガリア語ならばレティシュテ・ヴラジュデブナ Летище Враждебна。
【リラへの道 Пътят към Лира】
ブルガリアに限らず、旧共産圏の国も、高速道路・幹線道路など大きなインフラはそれなりに整っていて、すごく走りやすいです。ブルガリアのドライブもとても快適でした。
【リラ修道院 Рилски манастир】
さあいよいよ着きました。 リラ修道院 Рилски манастир です 。車はそこらへんの駐車場に無料で駐車できました。
【リラ修道院 Рилски манастир】
さてここが入口です。印象的なイコンが掲げられています。このトンネルを抜けると中庭に出ます。後ろが堅牢な城壁のように見えるのは、この修道院の歴史を考えれば分かります。14世紀、ここを支配していたブルガリア帝国はオスマン帝国によって滅ぼされてしまいます。イスラム教が国教のオスマン帝国ですが、なんとか存続を認められました。しかしそのオスマン帝国もロシアとの戦争に敗れれ弱体化。結果的にここも度重なる襲撃を受け1833年、ほとんどの建物を破壊されてしまいました。
【リラ修道院 Рилски манастир】
そんな歴史もあって、この僧院は戦闘時も耐えられるように、レンガと漆喰で堅固に造られています。修道院の入り口は表と裏の2か所に限られ、ここを封じれば籠城もできるしくみです。ちなみに上の写真が正面入り口。ここが裏口です。
【リラ修道院 Рилски манастир】
入口を抜けると、目の前にはこんな風景が広がります! この僧院の始まりは10世紀。イヴァン・リルスキーという修道士が深い森の洞窟の中で修行を行っていたところ、彼を慕って修道士たちが集まりだし、小さな僧院が建てられたのがここの最初と言われています。
【フレリョの塔 Hrelyuvata kula】
実は現在の建物は、創建当初のものはほとんどありません。その中で最古のものがこの塔。14世紀(1335年)に建てられました。フレリョというのはリラ修道院を現在の場所に移築した領主フレリヨ・ドラゴボラの名にちなんでいます。高さ24mの塔の最上階(5階)には、礼拝堂もあるそうです。
【フレリョの塔 Hrelyuvata kula】
この塔は非常に堅固な造りで、ほとんどの建物が破壊されてしまった19世紀の大火の時もこの塔だけは残り、14世紀の姿のまま現存しているとのことです。波乱の時代にはこの塔は要塞や修道士の住居としても機能したそうです。
【リラ修道院 Рилски манастир】
リラ修道院の現在の姿は、ほぼ19世紀に作られたものです。修道士居住施設の東棟(この写真あたりだと思います)のみが20世紀に建築されたものだそうです。
【リラ修道院 Рилски манастир】
回廊部分にはテラスが設けられています。説教などを行うためでしょうか?
【イコン Икона】
この修道院の名前を高めているのが、この極彩色のフレスコ画群。一説によると3000枚以上もあると言われているこれらの絵画の醸し出す雰囲気は、何とも言えない力を感じます。
【イコン Икона】
ここが中心にある生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"の入口です。極彩色のフレスコ画もすごいですが、白黒の柱などにオスマン帝国時代のイスラム教の雰囲気を強く感じます。
【生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"】
修道院の中心部に位置する生神女誕生教会です。ここは1834年〜1837年にかけて建設された教会で、それまでは古い教会堂があった場所だったそうです。
【リラ修道院 Рилски манастир】
高さが22mもある僧院を下から見た図。壁は石やレンガや漆喰ですが、主要部分は木材であり、木のぬくもりを感じる建物でした。
【リラ修道院 Рилски манастир】
リラ修道院の総面積は教会堂、居住施設、経済部などを含み、8800平方m。高さ22メートルの石壁が、修道院の中庭、生神女誕生教会堂、フレリョの塔、博物館、居住施設や経済部の建物を囲んでいます。修道院には300の部屋があり、その内100が修道士の居住部屋とのことです。
【生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"】
この教会には修道院の創立者 聖イワン・リルスキーの聖遺物、奇跡を起こすと信じられる12世紀のイコン生神女オセノヴィツァや18世紀の聖イワン・リルスキーのイコンなどがあります。
【生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"】
この教会堂の様式は、5廊式の十字ドーム型で、両側に2つの礼拝堂があり、合わせて3つの祭壇があります。 内部は撮影禁止だったので写真はありませんが、木彫刻のイコノスタス(斉唱:イコンで覆われた木製の壁)や壁画はものすごく迫力がありました。創建当時を代表する芸術家であるバンスコやサモコフによるものだそうです。
【リラ修道院自然公園 Природен парк Рилски манастир】
ここはリラ修道院自然公園という国立公園の中に位置しています。この看板はその解説版で、自然公園の概要が簡単に解説されています。
【リラ修道院自然公園 Природен парк Рилски манастир】
この修道院からは、自然公園へのトレッキングコースもあります。これがそれを説明したもの。「ここでハイキングを楽しむこともできる」とありますが、実際にハイキングしている人は見かけませんでした。
【リラ修道院 Рилски манастир】
裏口のトンネル内にあった解説版です。珍しく英語だったので思わず撮ってしまいました。10世紀前半の修道院の誕生から現在に至るまでの出来事が要点的にまとめられています。
【生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"】
この教会は、ビザンチィン式のドームやムーア式の列柱など、多くの建築様式が合わさった独特な造りをしています。内部も1,200もの場面を描いた壮麗なフレスコ画で覆われていて、圧倒される壮麗さでした。 
【生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"】
この修道院には博物館があります。回りの壁のようになっている僧院の一部がそうで、14世紀〜19世紀ごろの作品が展示されていました。最も有名なのは修道士ラファエルが作製した木製十字架で、1802年に完成した時にはその細かさゆえ、ラファエルは盲目となっていたと伝えられているそうです。小さな十字架の両面に、36の聖書の場面、600人以上の人物像が彫り刻まれているそうです。
【イコン Икона】
ブルガリア正教の知識がなくて解説ができないのですが、ここの特徴として聖人のみならず、その周辺のもの(動物・怪物)などもすごく印象的な絵でした。
【イコン Икона】
オスマン帝国に支配されていた400〜500年間も、きちんと教えを守ったというのですから、ブルガリアの人々にとっていかにキリスト教が心の支えだったのかを感じます。信仰を伝えていく重要な手段として、これらのフレスコ画が重要な役割を果たしたのかな(目前のこれは再建ですが)・・・なんて感じました。
【リラ修道院 Рилски манастир】
地面からみた僧院の様子。22mの高さにある回廊群は壮麗で、何とも言えない造形美を感じます。この僧院の建物の中に、歴史博物館・民俗博物館・図書館・居住施設などがあります。このうち有料なのが博物館と教会。それ以外の回廊部分などは無料です。
【リラ修道院 Рилски манастир】
洗濯物が干してありました。この修道院が現在も”生きている”ものであることを強く感じます。3000あると言われる僧院の部屋の内、100あまりが修道僧に使われているとのことです。
【リラ修道院 Рилски манастир】
壁に色が着いている部分。レンガが挟んであるかと思いきや、レンガ色で塗ってあるだけでした。
【リラ修道院 Рилски манастир】
屋根の部分。日本のように高温多湿でないので、雨どいなどが簡易式なのがヨーロッパらしい作りです。
【リラ修道院 Рилски манастир】
回廊の3階から見た風景。単純な形でない僧院の姿がまたいいですね。
【リラ修道院 Рилски манастир】
回廊の3階です。観光客はどこへ行ってもOKでした。日本ならプライベートな部分はすぐに立ち入り禁止になりそうなのに、すごいなと感じました。そうそう、観光客が泊まれる部屋もありました。一瞬「今晩、泊まろうかな?」と思いましたが、まだ日も高かったので、時間がもったいないと思い踏みとどまりました。
【生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"】
回廊の3階からみた教会の屋根。複雑な形がよくわかります。
【生神女誕生教会 Църква "Рождество богородично"】
教会のタマネギ型ドームはロシアでよく見られるクーポル。アーチはイスラム建築の列柱廊。そしてストライプは南ヨーロッパによくある柄ですが、それが混在してしまっているのがここの魅力なのでしょう。
【リラ修道院 Рилски манастир】
最上階(4階)の回廊から。4階は手すりの形が他とは違いました。
【リラ修道院 Рилски манастир】
最上階(4階)の回廊から。
【フレリョの塔 Hrelyuvata kula】
最上階の回廊から見た塔。確かに塔というより要塞の一部にも見えてきます。今は1階にお土産屋を売っている売店があります。
【リラ修道院 Рилски манастир】
最上階(4階)の回廊から見た中庭と教会。どこから見ても絵になる教会です。
【リラ修道院 Рилски манастир】
最上階の廊下。木製です。こんなところまで観光客がはいりこんでいいのか、と思いながら全ての廊下を歩いてしまいました・・・。
【リラ修道院 Rila Monastery】
ブルガリアを見た後は、車を返し、また夜行列車で隣国へ行きました。
【リラ修道院 Rila Monastery】
次の目的地はギリシャのテッサロニキ。車内ではたくさんの人と友だちになり、すごく充実した夜を過ごしました・・・。