チュニジアの鉄道

Société Nationale des Chemins de Fer Tunisiens

 

 

 

スース(Sousse)市内を歩いていたら、突然列車に遭遇しましたのでその様子を紹介します。

歩いていたのはこんな場所。世界遺産にも指定されている美しい街の中心部です。メディナ(旧市街)入口の広場です。

 

 

ふと見ると花壇の隣に線路がありました。一応使われていそうですが、こういった場合あるあるで、列車なんかめったに通らない線路だろうな・・・と思っていたら

 

大きな警笛が鳴ったかと思うと突然大きな機関車が現れました。まさかこんなところに・・と思う暇もなく、超ビックリです。

 

詳細な形式は分からないのですが、SNCFT Diesel 040-GT あたりかな?と思われます。一般的にはアメリカのElectro-Motive Diesel (EMD) 社のEMD GT18シリーズ と呼ばれる形式と思われます。マレーシアやエジプトでも類似機が使われています。

 

簡易的な列車でなく、堂々とした編成。機関車の後ろには長大な客車がついていました。しかもおまけ的なものではなく、カラーリングも統一したかなり優等列車です。

 

列車最後部。ふと思ったのですが、フル編成が町の真ん中を走るのに、遮断機もありません。一応踏切を知らせる表示と信号はあるのですが、日本だったらとてもこんな感じではないと思います。

 

轟音が過ぎると、街はいつもの雰囲気をすぐ取り戻しました。

チュニジアとは

地中海に面したアフリカの小国です。欧米人には有名でしたが、日本人には知名度がイマイチでした。でもアラブの春以来、注目されるようになり、報道でも名前が聞かれるようになりました。そんなチュニジアにどうしてもいってみたくなったのが、紀元前に存在したフェニキア人国家、カルタゴ Carthāgō の存在でした。

豊かで独自の文化を持ち、独自の発展を遂げたカルタゴは、その繁栄に目をつけたローマ帝国と戦争になります。それが「ポエニ戦争」。勝ったローマは莫大な賠償金を要求しますが、勤勉なカルタゴはそれを払ってしまいます。焦ったローマは再び戦争を起こし、再び勝ちます(第二次ポエニ戦争)。そこでローマは再び超莫大な賠償金を課しますが、カルタゴはまたもやなんとか支払ってしまい、その強大な経済復興力に恐れをなし、ついには徹底的に滅ぼしてしまい、ついにカルタゴは歴史上の表舞台から消えてしまった・・・との話です。

 

 

チュニジア国鉄

チュニジアの鉄道を運営しているのは政府交通局管轄のチュニジア国鉄。通称SNCFT 、正式にはSociété Nationale des Chemins de Fer Tunisiens(仏語)といいます。(公式サイトhttp://www.sncft.com.tn/

国内に2種類の軌間を持ち、北部の471kmは、1435mmの標準軌、中部と南部の1674kmは1000mmの狭軌を使用しています。両軌間の併用区間は8km、電化されているのは65kmだそうです。

 北部に標準軌が敷設されたのは、かつての宗主国フランスによる鉄道開発の結果です。そもそも北部はフランス企業(Corporation des Batignolles と、その子会社の Compagnie des chemins de fer Bône-Guelma)により建設され、1884年には隣国アルジェリアまで結ばれたのだそうです。1922年まではフランス企業の経営だったのですが、チュニジア政府に売却されて現在にいたるそうです。