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 イエス生誕の地 : ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路
Birthplace of Jesus: Church of the Nativity and the Pilgrimage Route, Bethlehem

パレスチナ国 دولة فلسطين‎、Dawlat Filasṭīn、State of Palestine。地中海東部のヨルダン川西岸地区およびガザ地区から成り、首都は東エルサレム、約500万人の人口を抱えているところです。
 パレスチナについて語ると、いくら紙面があっても足りないのですが、一番重要なことを一言でいうと、日本をはじめG7諸国はパレスチナを国家として承認していませんが、”世界遺産から見る”と、パレスチナは明らかな”国”であり、国家として認められているということです。
 私か語るまでもなく、パレスチナ周辺の歴史は、侵略と戦いの歴史。しかも有史以来、様々な歴史が連綿とつながっており、それが現在もそのまま現実の争いとして受け継がれてしまっています。わかりやすいところでいうと、1988年、パレスチナ解放機構(PLO)ヤセル・アラファト議長によるパレスチナ国家成立宣言以来、パレスチナを国家として承認する国は増え続けました。そして、2011年9月23日。パレスチナは国際連合への加盟申請。その結果、2011年10月31日には国際連合教育科学文化機関(UNESCO:United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)の加盟国として承認されました。そして、2012年11月29日には国連総会において「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上され、国連では「国家」の扱いを受けることになりました。
 2019年現在、国際連合加盟国の193ヶ国中、137ヶ国が承認をしています。 つまり日本及びG7諸国、EU諸国(スウェーデンを除く)などからみると、国家ではないのですが、それ以外から見ると完全に一つの国家として認められているということです。
 このパレスチナと世界遺産、じつはとても重要な問題があるのです。パレスチナの実質の最大敵対国はイスラエルですが、このイスラエルの背後にいるのがアメリカ。そしてアメリカの影響を大きく受ける(旧西側)先進国は結果的にパレスチナの対立国になってしまっています。イスラエルとすれば、パレスチナに力を与えることは絶対に嫌ですので、国際的な地位の向上につながる国連への”国家”としての承認は絶対に認められませんでした。しかし、「パレスチナはやはり一つの国家である」と考える国も多く、1988年の国家成立宣言以降、パレスチナを承認する流れは確かなものになっていきました。
大きな転機は、2011年10月31日。ユネスコの総会です。この時、パレスチナのユネスコへの加盟が審議されました。イスラエルを先鋒として、アメリカも強く反対。しかし、アラブ諸国をはじめ、反イスラエル、反アメリカ勢力の国々が強く推しました。そして採択の結果、加盟賛成が107票、反対14票、棄権52票で、国としての正式加盟を承認したのです。(ちなみに日本は棄権しました)。 すると、アメリカはこの決議案に強く反対し、その対抗措置として、ユネスコの分担金負担拒否、そして2017年10月にはユネスコ脱退表明をしました。2018年末に脱退が発行し、アメリカはオブザーバー参加国になっています。それまでアメリカは全体のユネスコ分担金を20%以上負担する最大拠出国でしたが、その後、日本が最大拠出国になっています。
ちなみにアメリカがユネスコを脱退するのは2回目。1984年にジャーナリズムと途上国の新しい関係を提案した「新世界情報秩序」に反対していらいです。この時は「ジャーナリストを許可制にする」という東欧諸国の案に反対したイギリスなども同調しましたが、2003年には復帰しました。今回は、パレスチナ問題に絡んでの脱退ですので、イスラエルも2017年10月に脱退を表明しました。
 そんな、世界遺産そのものにさえ影響を与えるパレスチナ。かねてからぜひ訪れてみたいと思っていましたが、時間が何とか作れましたので、2019年.12月~2020年.1月にかけて訪問してみました。以下はその時の記録です。

 

 

訪問の方法
パレスチナへの訪問は実は驚くほど簡単で、イスラエルにさえ入ってしまえば比較的簡単に行くことができます。まず日本からイスラエルまで飛びます。イスラエルはなかなか難しい国ですが、基本的に日本人はビザの必要もなく、いわゆる普通の日本人であれば、簡単に入国できるはずです。飛行機は実質上の首都テルアビブ近郊のベングレオン空港に津着しますので、そこからいろいろな方法でエルサレムまで行きます。テルアビブからエルサレムは60kmほど。おそらくさほど問題なく来れられると思います。エルサレムまで来たら、旧市街の「ダマスカス門」を目指します。そのダマスカス門近くのバスターミナルから、アラブバスという民営バスが出ていますので、それに乗れば、30分、約10kmでベツレヘム市街まで到着します。ベツレヘムのおもな見どころは徒歩で十分ですので、バス停からは歩いて散策できます。帰りのエルサレム行きのバスは、降車した場所から乗れば、ダマスカス門まで戻れます。途中、検問(国境)がありますので、パスポートは忘れずに。イスラエル入国時の入国カードも必須ですが、自分の時はそれほど厳しくありませんでした。ただし、検問の厳しさは時と場合によって違うようですので、それなりの覚悟が必要かも。
おすすめプラン
エルサレムからわずか10kmですので、移動時間は30分程度です。ただし、場所が場所ですし、バス以外の代替え方法もそれぞれ難点がありますので、時間が読めない部分があります。歩くのが気にならない普通の人であれば、往復を入れて1日見ておけばいいと思います。超急ぐと半日でも見られますが、かなりせわしくなります。もちろん数日滞在してもとてもいいと思います。ここから7km離れた場所に、もう一つ世界遺産もありますのでそれを見ても良いでしょう。そして何よりも嬉しいのがイスラエルの物価よりかなり安く、飲食代も宿泊代も数割引きから半額程度。ご飯も宿もイスラエルに比べるととてもリッチになった気分です。

それでは、パレスチナのベツレヘムの様子を多くの旅行者がたどるであろうルートで時系列で紹介しています

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  • 1 イスラエルからパレスチナの移動

    • 【ダマスカス門 Damascus Gate 】

    • パレスチナのベツレヘムに行くための出発地はここ、エルサレムの ダマスカス門 (Damascus Gate باب العامود‎ שַׁעַר שְׁכֶם)
  • 【Damascus Gate 】
    旧市街の反対側にいくと

【バスターミナル Bus terminal】

バス乗り場があります
【Bus terminal】
奥に見える茶色の建物が事務所のようです。でも行ってみましたが、なんの仕事をしているのかわからず、あまり役にはたちませんでした。

【アラブバス Arab Bus】

これがイスラエルのエルサレムから、パレスチナのベツレヘムを結んでいる路線バス。通称アラブ・バスといい、ここを結んでいるのは「231系統」です。
【Arab Bus】
これがバスチケット。直接乗り込んで払います。通貨は Israeli Shekel イスラエルシュケルで21ILS。日本円で600円ほど。
【Arab Bus】
バスは中国製の中古車。路線バスなのに車は観光バス仕様です。
【Arab Bus】
朝は晴れていたの急に雨になってきました。うぅ・・・雨具を何ももっていないのに・・・
【Arab Bus】
出発まで少し待っていたら、次々と客が乗り込んできました。出発時には8割ほどの乗車率。

【Arab Bus】

このアラブバス、周辺に何の看板も説明も何もなく、かなりわかりにくいですが、いろいろな人に聞けば親切に教えてくれます。旅行者同士聞きあうのもとても有効です。(自分もおじさんや他国の旅行者に何人も聞きました)
【Arab Bus】
さあ、いよいよ出発。バスははじめはエルサレム旧市街の城壁沿いに走ります。
雨は本降りになり嵐が来たかのよう。「こんなとき外に出て街歩きしたくないな」と切に思ってしまうほどの強い雨・・・。
【Arab Bus】
ちなみに晴れているとこんな感じです。
【Arab Bus】
城壁を過ぎてしばらくすると、山の方に向かっていきます。いよいよ東エルサレムからヨルダン川西岸地区へ。
【Arab Bus】
ちなみに帰りに乗ったバスは通勤仕様でした。やはり中国の中古車でしたが。
【Arab Bus】
帰りも次々に人が乗ってほぼ満員状態。言い換えるとバスの本数もそこそこあるので、旅行者にとってはバスの運行本数を気にしなくてもいいと思われます。

【検問所(国境)Border (Check Point)】

いろいろいろいろあるイスラエルとパレスチナですが、現在の境界線はここ。事実上の国境です。(往路は大雨でした。強くて見にくくてごめんなさい)

【検問所(国境)Border (Check Point)】
イスラエルから、パレスチナに入る際は、完全にノーチェックでした。車線にも検問所が設けられておらず、どの車も調べられている様子はありませんでした。何かの記事に「バスから降りて国境だけを超えて再度乗り込む」みたいな表記がありましたが、自分が行った2019.12~2020.1の時期はこんな感じ。

【検問所(国境)Border (Check Point)】
イスラエルでは、歩道の脇、路肩にあるブロックに色を塗っていろいろな意味を表現します。「青と白」で路上駐車可、「赤と白」で路上駐車禁止、のようなものなのですが、この光景を見ると緊張感を覚えます。白と黒は国境のような特別な場合のみにしか使わないからです。つまり何気ないこの風景も、地元の人が見ると一目でただ事ではない場所、ということがわかります。

【イスラエル西岸の障壁(分離壁) Israeli West Bank barrier】

そして・・・これが分離壁。イスラエルが作った、パレスチナとの分離壁です。これをイスラエル政府の言いかただと 「分けるためのフェンス: separation fence」「分けるための壁:separation wall」「 安全のためのフェンス:security fence」です。
でも、パレスチナ人に言わせると 「人種差別(の壁)racial segregation」「アパルトヘイト(人種隔離政策)の壁 apartheid wall」だそうです。確かにこれが分断したのは土地だけではありません。総延長700km(完成は500km弱)、高さ約7m、有刺鉄線・電気フェンス、警備システム完備の多重構造壁です。
【イスラエル西岸の障壁(分離壁) Israeli West Bank barrier】
そして壁の内側と外側では明らかに何かが違います。信号や標識はもちろんですが、目に入るもの全てがイスラエルとは少しずつ異なっています。例の道の白黒舗装が続いているのも不気味です。
【検問所(国境)Border (Check Point)】
検問所を別の視点から。これは帰りのバスから見たところ。パレスチナからイスラエルに戻るバス内でも一切の説明や解説はありませんが、出発前の乗客同士「パスポートがいるよね」「検問があるんだよね」と話をしました。
【検問所(国境)Border (Check Point)】
右車線がイスラエルからパレスチナ。つまりノーチェックですが、左車線、つまりパレスチナからイスラエルに入国する側に検問があることがわかります。
【検問所(国境)Border (Check Point)】
一見すると料金所のようにも見えますが、停戦合意の後も散発的に戦闘や自爆テロが起こっている場所だけに、本物の緊張感があります。ここの検問方法は「地球の歩き方」にはバスに乗ったままではなく、各自ゲートを抜けて、歩いて国境を越えバスに戻る、とありましたが、さて・・・。
【検問所(国境)Border (Check Point)】
いよいよ検問所へ。バスはこの屋根の下あたりで止まりました。「降りるのかな」と思ったらだれもおりません。待つこと3分。大きなライフルを抱えた若い兵士が二人バスに乗り込んできました。乗客は座ったままで証明書やパスポートを大きく掲げ兵士に眼前に見せつけていきます。彼らはそれを一瞥しながら、一言も発さず降りていきました。所持していた武器が・・・とても使い込まれていたことに、この場所ではそれらが決して脅しの道具でないことを改めて痛感しました・・・・。

【イスラエル西岸の障壁(分離壁) Israeli West Bank barrier】

検問所の前後には分離壁が続きます。そしてバスの車内からもいろいろな形の分離壁が見えました。
この分離壁は、イスラエルが「国民の安全を守るため」と称し勝手に設置したもで、しかも全て停戦暫定合意した場所から、イスラエル側からパレスチナ側に 踏み込んだ場所に設置されているとのこと。あまりにもわがままなイスラエルの行為に、この分離壁に関し、 国際連合総会でも2003年10月に非難決議がなされました。さらに国際司法裁判所も2004年7月9日に「国際法に反し、パレスチナ人の民族自決を損なうものとして不当な差別に該当し、違法である」という勧告的意見を出していますが、イスラエル政府はあくまでも自爆テロを防ぐためのもの、と主張しているとのこと。
イスラエル政府の後ろには、アメリカ経済の中枢を担うユダヤ人、つまりアメリカ政府がいて、資金援助や武器援助をしているのは周知の事実。しかも、アメリカの反アラブ意識もあり、アメリカは完全にイスラエル寄りの政府です。そんなイスラエルが実力行使をして建てた壁を、パレスチナ人が快く思っているはずはなく、この周辺でも小さな衝突が頻発している事態になっています。

【パレスチナの街並み Palestinian city】

分離壁から少し離れた場所です。一見イスラエルと変わらないのどかな景色が広がります。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
雨が降っていて良く見えませんが、イスラエル国内とは明らかに様々が異なる街並みが広がります
【パレスチナの街並み Palestinian city】
教会・・・でしょうか?
【パレスチナの街並み Palestinian city】
一般市民が生活する市街地はこんな感じ。人口500万人を抱えるパレスチナですのが、多くはエジプトに近いガザ地区に住んでいますので、ここらへんはゆったりしている感じがします。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
上の雨の中で撮った教会かも・・・(帰りのバスの車窓から)

【ヘブロン通りのバス停 Hebron Road Bus Stop】

アラブバスに揺られること30分から40分。バスは市街地の道路端の普通のバス停で停まりました。いきなりの停車に乗客みんなが「え?」となり、みんなで運転手に聞くと「バスはここまで」「旧市街はここから歩いていけ」「またはタクシーで」とのこと。
【ヘブロン通りのバス停 Hebron Road Bus Stop】
結局、乗客のほぼすべてが外国人観光客でした。上と同じ場所ですが、あとで晴れたときに見たらこんなバス停がありました。
【ヘブロン通りのバス停 Hebron Road Bus Stop】
エルサレムーベツレヘム間を往復しているバスですが、観光客だけのものではないので、当然、地元の方も乗りますが、時間帯によっては観光客専用のようになります。
【ヘブロン通りのバス停 Hebron Road Bus Stop】
場所は、ヘブロン通り。片側2車線の大きな通りです。
【ヘブロン通りのバス停 Hebron Road Bus Stop】
パレスチナと言えば関係が深いのがイギリスの覆面画家バンクシー。あの分離壁を前にした「世界一景観が悪いホテル」をこの近くで運営しています。
【ヘブロン通りのバス停 Hebron Road Bus Stop】
赤い看板もありました。Pの下は、バス会社の名前だと思います。下は القدس エルサレム です。「なーんだ、看板が出てんじゃん」ということなのですが、外国人には読めません・・・。

【タクシー TAXI】

ベツレヘムで「要注意」と言われるのがこの黄色いタクシー。少しネット検索してもらえればわかるのですが、とにかくここのタクシーは悪評しかでてきません。アラブバスを降りたバス停周辺にはたくさんのタクシーが待機していて声をかけてきます。でも、料金をはじめ、行先などかなりのトラブルが起こるようです。 自分もエルサレムに戻ろうとヘブロン通りをバス停に向かって歩いているときしつこく声をかけられました。「エルサレムへのバス停は、別の場所に移動してないぞ」「こんなところにバス停はない」(本当は10m先にあるのに)と言われ続けました。また「エルサレムに行くには俺の車に乗って行け。バスは時間がかかりすぎるぞ。」というので「エルサレムまで行ってくれるの?」と聞くと、「ボーダーまでだ。そこからは別の車がすぐみつかる」とのこと。
 そんな話を何人かとしました。しまいには「・・・おまえは俺のことを信用しないんだな。なんて奴だ・・・」なんて捨て台詞を吐かれてしまいました。ただタクシーを断っただけなのに・・・。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
自分が到着した時、大雨でした。馬鹿な自分は傘もカッパも持たず、途方に暮れてしまいました。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
ベツレヘムは少し小高い丘にあります。よって、雨が降るとそれは勢い良く滝を作って流れていきます。日本で、大雨が降ってもこのようにならないのは、設計段階で「排水溝」を必ず作っているからです。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
市街地の方角はこんな感じで看板が出ていることもあります。イスラエルだったら、ヘブライ語が最上段に来ますが、ここは当然アラビア語と英語表記のみ。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
到着したのが朝だったので、まだお店は開いていませんでしたが、たくさんのレストランがあります。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
このお店、地球の歩き方に乗っていました。「バス停の目安になる店」です。

【UNRWA KHAMASHTA HEALTH CENTER】

バスを降りてヘブロン通りを歩いていたら、なんの変哲もない古い建物がありました。しかし、よくよく見るとびっくり。おお「UNRWA」ではありませんか!!UNRWAとはUnited Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East、つまり国連パレスチナ難民救済事業機関、つまりパレスチナ難民を救う国連機関で、日本も資金を拠出しているはずです。最近の話題としてはトランプ政権となったアメリカ合衆国が、2017年から拠出金を減らしていき、2019年には完全に資金停止をしたことが話題になりました。UNRWAの組織自体も内部汚職とかあったらしいのですが、この決定でかなりの難民が困窮したとの話題を何かで読んだ気がします。確かにここも開店休業のような感じでした。

【パレスチナの街並み Palestinian city】
堂々とした携帯電話の看板。世の中「5G」規格で盛り上がっている中、2世代前の「3G」を堂々と謳っていることが、この場所のインフラの姿を現しています。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
さて、いよいよ旧市街の中心部に向かっていきましょう。とにかくこの日、大雨でした。でも、しばらくすると嘘のように雨が上がり、晴れ間が出てきました。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
アラブの街並みです。。。。つまり街中は清潔ではありません。スコールのような大雨が地面の埃は洗い流してくれましたが、それより大きなごみは、濡れてぐちゃぐちゃになっています。

【車のナンバープレート Car license plate】

いくら日本をはじめ、G7諸国が承認しなくても、やはりパレスチナは一つの独立した国だと感じるのが、このナンバープレート。当然、イスラエルのものと大きく違いますし、この国独自のものです。

【車のナンバープレート Car license plate】

この車はスペインのSkoda(シュコダ)。世界各地のメーカーの車が走っていました。日本車はほんの少しだけありました。右端のPはパレスチナだとおもうのですが、その上の「و」はラテン語表記だと「F」だと思うのですが、どんな意味かはわかりません。

【パレスチナの街並み Palestinian city】
現代風にスマホのグーグルマップ片手に歩いていたのですが、この建物はショッピングセンターと出ていました。まだ少し早い時間だったので誰もいませんが、もうしばらくするとにぎやかになるのかなぁ・・・。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
この写真に、あんなに敵対しているイスラエルとそっくりな点があります。それは歩道の端は「青と白」であるということ。この青と白の場所は、有料で路上駐車してよい場所です。ちなみに「赤と白」の場合は路上駐車OKの場所、という意味です。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
古い、というか汚れたままの車の多いです。Hyundai Elantra ヒュンダイ エラントラの3世代(XD型)でしょうか?すでに10~15年は経っています。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
こんな感じで商店街が続いています。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
坂道を上ります。大雨の後の途上国の坂道は大変。気を抜くと下水の滝の中に足を突っ込むことになります。(悲しいかな・・実は2度ほど完全水没してしまいました。とにかく、きれいでない水に全水没ですので、その後が大変でした。ハードスケジュールの旅の途中で洗えるはずもなく・・。結局新しい靴を買いました。)
【パレスチナの街並み Palestinian city】
街並みとすればとてもきれいなのですが・・・。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
ここベツレヘムは、パレスチナ随一の観光地。こんな案内もきちんとしていました。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
Peugeot505・・。古い車もたくさん走っていました。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
ベツレヘムの中心部は、小高い丘になっていますので、どの道を通るにせよ坂を上る必要があります。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
これが一般的な住宅街の様子です。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
自分が訪れたのは時間が早かったせいか、店がやっていませんでした。そうそう、この道は「パウロ6世通り」という道です。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
しばらくするとだんだんにぎわってきました。

【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】

さて、それでは教会などを見ていきましょう。
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】
「ルーテル」と聞いてもわかりにくいかもしれませんが、世界史の教科書的に言うと「ルター派」の教会のことです。
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】
なにやら素敵な雰囲気の建物が続きます。
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】
建物の間に塔が見えました。
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】
「ミサは 日曜日10:30です。クリスマス教会はパレスチナで最も古いルター派の教会です。1854年、ドイツ人修道士によってこの地にひらかれました。この教会自体の実際の建設は1886年から1893年にかけてです。特徴的な建築としては、19世紀のベツレヘム様式の女性の防止型の塔があることと、14枚のステンドグラスがあることです。(要約)」
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】
横のドア。日本では絶対にないこういう風景に、何かを感じてしまう私です。
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】
うう・・ん。アラビア語は全然読めないのですが。多分、「文化図書館」の宣伝だと思います。でも最初の文字はバクダッド بغداد と読めそうな気が?。イラクに関わる図書館でしょうか?
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】
ここには「国際センター」と書かれていました。やはり文化施設のような気がします。
【福音ルーテル クリスマス教会 Evangelical Lutheran Christmas Church】

「2019年 12月24日
午後5時 地域の方向けのクリスマスサービス(招待券が必要です)
午後7時30分 平和のための吹奏楽ミュージカル”来て、聴いて、歌おう”
 「どなたでも歓迎」
午後10時 クリスマスイブサービス「英語で賛美歌とキャロル」
「どなたでも歓迎」

25日 午前10時30分 アラブのクリスマスモーニングサービス

「どなたでも歓迎」」

【パレスチナの街並み Palestinian city】

さて、クリスマス教会に別れを告げ、中心部に向かっていきましょう。

【パレスチナの街並み Palestinian city】
やっぱりまだ早いのかも・・。お店が開いていません。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
でも街並みは美しいです!
【パレスチナの街並み Palestinian city】
どんどん進んでいきます。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
壁の落書きも素敵に感じてしまいます。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
上の写真の右側。配電盤がありました。すごく雑な配線のBOXにだれかがゴミを入れてあります。この配電盤は電源ではなく、電話線の気がしますが、途上国は停電も多いのですが、こういう配線が一般的ですのでそれはある意味当たり前のような気がします。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
おおお、初めて見ました。両方にあるこの旗がパレスチナの国旗です。この緑・黒・白・赤は、汎アラブ色またはイスラム・アラブ色と呼ばれ、イランやシリアなどのシーア派諸国で使われている色です。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
壁の落書きもアラビア語でステキです。

【カッタン階段(Qattan Stairway)】

おお、こんなところにUSAIDが。USAIDとはUnited States Agency for International Developmentつまりアメリカ合衆国国際開発庁の資金援助で行われるプロジェクトで、アメリカが世界の様々な国の生活や文化施設に援助を行うもの。日本のODA、ドイツのGTZのようなものです。

ちなみにここは何を援助したのかというと
「カッタン階段(Qattan Stairway)のリハビリテーション。このプロジェクトはアメリカ人からベツレヘムのコミュニティへの贈り物です。2014年」とのこと。このカッタン階段なるものがよくわからないのですが、きっとこの穴の階段のことなのかもしれません。

【パレスチナの街並み Palestinian city】
広場の真ん中に石の球がありました。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
おそらくポイントは球ではなく、その下の星だと思います。そう「ベツレヘムの星」をイメージしたと思います。(詳しくは後述)
【パレスチナの街並み Palestinian city】
美しい通りです。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
鶏肉を焼いているおじさん
【パレスチナの街並み Palestinian city】
まだまだ焼き始めたばかりです
【パレスチナの街並み Palestinian city】
アラブの世界で欠かせないパン ボブズخبز عرب(ピタパンとも言います)が売っています。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
雨がすっかり上がって青空が見えてきました。さっきの豪雨は何だったんだろう?と思えるほど。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
少しずつ街もにぎわってきました。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
そうそう、観光地ですのでお土産も豊富です。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
アラブの国の色彩感覚は、日本人のそれと違っていて艶やかに感じます。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
悲しい歴史を忘れるほど、美しい街並みです。
【パレスチナの街並み Palestinian city】
まだ閉まっているお店もたくさんありました。

【メンジャー広場 Manger Square】

さて、ベツレヘムの中心部、メンジャー広場です。
【メンジャー広場 Manger Square】
中心部は・・・駐車場でした。でもあまりにも面積が狭く、超ぎりぎりに停めていました。もっと別のところに停めるか、広場を整備したほうがいいのでは?と思ってしまいますが、ここはパレスチナ自治区。常に平和だとは限りません。
【メンジャー広場 Manger Square】
ここからだとベツレヘムの有名地に行くのも簡単です。
【メンジャー広場 Manger Square】
危険なことは何も感じず、趣のある良い雰囲気の広場です。そうそう、パレスチナの人は強引な勧誘をしません。余計な呼び込みもしません。それがとても好感を得ました(ただしタクシーを除く)
【メンジャー広場 Manger Square】
この赤い看板が「止まれ」です。こんな標識、他では見たことがありません。
【メンジャー広場 Manger Square】
クリスマスが終わった直後だったので、まだクリスマス装飾が残っていました。

【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】

さて、ベツレヘムのハイライト製誕教会に行きましょう!ベツレヘムを訪れる旅行者が目指すのはこの教会。ここはイエス・キリストの生誕の場所であり、世界最古の教会、と言われています。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
修復工事の説明ですね。
「パレスチナ大統領 生誕教会修復委員会「聖誕教会の修復について」 ・屋根と窓の修復、外部の石のファザード。ナルテックスと関連するドア、木製構造物、壁のモザイク、石柱と関連する絵、内部の石膏、電気設備、床のモザイク、石と大理石の床。期限 76か月(2013年9月から2019年12月)」
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
さて、いよいよ行ってみましょう!
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
入るにあたっての注意事項が書いてあります。ちなみに入場券は必要ありません。なんと無料!よってチケットオフィスもありません。ちなみに内部の写真撮影も全部自由です! 自分にとってはとてもうれしいです!
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
「謙虚の門」と呼ばれる、高さ120cmほどしかない、すごく狭い教会入り口。でもこれが正規のメインゲートです。「神の前で参拝者は謙虚な気持ちに・・・」とのこと。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
「世界最古の教会」と言われています。ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝が325年に建立したとの記録が残っているそうです。そしてその200年後のユスティニアヌス帝が大規模改修をしているとのこと。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
1700年前の教会・・ということですね。現在はカトリック、ギリシャ正教会、アルメニア使徒教会の共同管理下にあるとのことです。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
ここが教会の中心となる身廊。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
天井からランプがぶら下がっています。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
床にはモザイクが残されています。付近で説明をしている方の話を聞いていたらコンスタンティヌス大帝(在位306~310副帝、310~337正帝))のころのものだそうです。この教会は、4世紀にローマ帝国のコンスタンティヌス帝によって建てられた後、6世紀には焼失してしまいますが、すぐに再建されました、その後イスラム教勢力の支配下に置かれたこともありますが、イエスはイスラム教徒にとっても預言者であり、また、このモザイクに中東の賢者である東方三博士が描かれていたことから破壊を免れたようです。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
ギリシャ正教会らしい装飾。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
祭壇。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
各所が修復作業中でした。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
さて、この祭壇の横に向かって人々が並んでいます。それは・・・
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
何やら地下に入る狭い階段前に集結していきます。そう、ここがイエス・キリストが生誕したといわれる場所への入り口。ベツレヘムを訪れるおそらく全ての旅行者はここを目当てにやってきますので、通常2~3時間待ちは当たり前になるらしい。ちなみに自分は早朝から来ているためすんなり入れました。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
ここです!この十四芒星で示されている場所が、イエスが誕生したといわれる場所。イエス生誕の際に東方の三博士を導いた星を模したものといわれています。銀の星は1717年にフランスから献上されたものとのこと。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
『新約聖書』にある「マリアはベツレヘムの馬小屋に一夜の宿を借り、12月25日の早朝イエスを産み布に包んで飼葉桶に寝かせた」と言われている場所。世界各地からきている人がこの十四芒星の前で写真を撮っていました。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
十四芒星のすぐ隣にも人だかりができていました。これは?
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
イエス生誕の様子を、洞窟内に再現した場所?でしょうか?
とにかくすごい人だかりで近くに行くのも大変・・。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
同じ敷地内にはフランシスコ会が管理する聖カテリナ教会(St. Catherine's Church, Bethlehem)もあります。そしてその中庭にあるのが、聖書学者ヒエロニムスの像。この方はキリスト教世界で非常に著名な方で、ヘブライ語で書かれていた聖書を初めてラテン語に翻訳した方です。彼の翻訳した「ブルガタ版ラテン語聖書」はカトリックの公認聖書で、カトリック普及に大いに役立ったそうです。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
この像が聖書学者ヒエロニムス。ここの洞窟にこもって翻訳をした方だそうです。ここで着目してほしいのが足元。なんと頭蓋骨が転がっています。これには意味があって、ヒエロニムスは翻訳作業を ローマの婦人パウラの協力を得ていましたが、彼女が途中で他界。その後彼は彼女の頭蓋骨をそばに置いて作業を続けた・・・との話が残っています。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
聖書学者ヒエロニムスの像の近くにて

 

【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
同じ敷地内にある聖カテリナ教会です。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
フランシスコ会、つまりカトリック会(でいいでしょうか?実はよくわかっていません)のオフィスです。
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
聖カテリナ教会
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
教会から見たベツレヘムの街並み
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
上とは反対の位置ですが、教会から見たベツレヘムの街並み
【聖誕教会(降誕教会) Church of the Nativity كنيسة المهد‎ 】
世界最古の教会、圧倒されるものがありました。この場所は、こういった価値あるものがあるのみならず、非常に苦しい場面の舞台にもなってきました。2002年にはここにパレスチナ・ゲリラが立てこもり、イスラエル軍が包囲しました。その包囲は1か月続き、その間ゲリラを匿った聖職者たちにも、水や食糧の必要物資の供給が十分でなく、大きな国際問題となった、まさにその舞台です。

【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】

聖誕教会から歩いてすぐの別の教会、ミルク・グロット教会に行ってみましょう。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
こんな感じに看板が出ているので簡単。歩いて5~10分です。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
狭い道ですが、車の往来も多いので気を付けて。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
ここがその入り口
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
冬は1時間早く閉まるんですね。お昼休みもあるのが要注意です。
でも、ここも無料。「観光客から少額のお金を取るよりも大勢に来てもらってこの国のことを知ってほしい・・」なんてメッセージにも感じます。

 

【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
では入っていきましょう
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
この扉が入り口です。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
このミルク・グロット教会にはある伝説があります。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
「イエスを生んだばかりの母マリアがこの洞窟にこもっていると、天使より父ヨセフに「子どもをエジプトに逃がさなくてはならない」とお告げがあった。」
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
「母マリアがあわただしくその準備をしていると、床にいくつかの母乳がこぼれた・すると赤茶色だった地面は白と乳白色のものに変わった」
とのことです。それ以来、この場所にある白い岩石を「聖遺物」として各地であがめるようになった・・・とのこと。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
聖母マリアがいた洞窟は、おそらくここなのでは?という場所。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
屋上はきれいに整備されていました。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
5世紀にはすでに聖堂があったらしいのですが、現在のものは1892年フランシスコ修道会によってつくられたもの、とのこと。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
いつの間にやら・・・空はすっかり晴れて青空になっていました。
【ミルク・グロット教会 Milk Grotto Church】
近くには他にも歴史的建造物があるようです。
【オマールモスク Omar bin al khattab Mosque (Mosque of Omar)

مسجد عمر بن الخطاب】
キリスト生誕の地、ベツレヘムですが、大きなモスクもあります。


【オマールモスク Omar bin al khattab Mosque (Mosque of Omar) 】
メンジャー広場 Manger Squareに面しているオマールモスクです。
【オマールモスク Omar bin al khattab Mosque (Mosque of Omar) 】
オマール(ウマル)の名前を持つモスクは各所にあります、オマールは、ムハンマドの先輩で、エルサレムを征服したあと637年にベツレヘムに来て、キリスト教徒と聖職者の教会と安全を尊重する法律を制定した聖人だそうです。
【オマールモスク Omar bin al khattab Mosque (Mosque of Omar) 】
現在のモスクは1860年に建設されました。そして1955年に大規模改修されたそうです。
【オマールモスク Omar bin al khattab Mosque (Mosque of Omar) 】
ここの土地は、エルサレムのギリシャ正教会から寄付されたそうです。電球が登場する以前の時代は、ベツレヘムのイスラム教徒とキリスト教徒が橋梁くしてオリーブオイルを提供し、このモスクの周辺を照らすことが一般的だったそうです。つまり両者は非常に協力的な関係だったそうです。
【オマールモスク Omar bin al khattab Mosque (Mosque of Omar) 】
自分が訪れたとき、ベツレヘムの街には、ここからのアザーンが朗々と鳴り響いていました。教会があんなになければ完全にアラブの街の雰囲気でした。

【平和センター Bethlehem Peace Center】

メンジャー広場 Manger Squareに面している大きな建物がピースセンター。

【平和センター Bethlehem Peace Center】
パレスチナ政府が1999年に設置した公的な文化施設のようです。
【平和センター Bethlehem Peace Center】
子どもや地域、旅行者のために図書館や文化施設などがあるらしい・・。
【平和センター Bethlehem Peace Center】
ドアが開いていたので入ってみました。予想に反して内部はかなり質素な様子。日本でいえば地方の大きな公民館に入ったような、がらーんとした印象でした。
【平和センター Bethlehem Peace Center】
一階ロビー全体の様子。良い言い方をすれば、商売っ気がないといえるかもしれませんが、簡単に言うと活気がない状態。
【平和センター Bethlehem Peace Center】
右奥に進んでいくとベツレヘム全体の模型がありました。でも解説版もなく、詳しい状況はわかりません。
【平和センター Bethlehem Peace Center】
ピースセンターと、メンジャー広場の設置・再開発にスウェーデン国民が寄付をしてくれた、との碑です。2002年2月21日。(これはこれでとてもいいのですが、スウェーデンって、他の欧州都市とちょっと違う面での動きをすることが多いな、と最近強く感じる筆者です。)
【平和センター Bethlehem Peace Center】
平和センターの中にはツーリストインフォメーションがありました。当然、行ってみましょう!
【平和センター Bethlehem Peace Center】
でも、閉まっていました・・・。
【平和センター Bethlehem Peace Center】
特筆すべきは、ツーリストインフォメーション横の壁でしょう。ここには一流ホテルのような世界各地の時計が掲げてありました。ベツレヘムにゆかりの深い都市を挙げてあるのかな?と思い見てみますと、ニューヨーク、ストックホルム、ベツレヘム、モスクワ、そして・・・
【平和センター Bethlehem Peace Center】
なんと、TOKYOでした!国交すら結んでいないのに、日本を挙げてくれるとは・・・。パレスチナの人々が少なくとも日本を嫌っていないのでは?と感じました。

【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】

さて、バス停方面に戻る途中にあるのは、素敵な雰囲気の教会。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
きちんと整備されていて新しそうな雰囲気です。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
教会の扉が開いていたので入ってみました。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
最初、なんの建物かわからなかったのですが、聖母マリア教会でした。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
美しい鐘楼があります。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
「シリア正教会は19世紀半ばにベツレヘムに到着したシリアの人々として作られた教区に1922年~1928年に建設されました。(要約)」
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
そっと扉をの覗いていたら、中から出てきた男性が手招きしたので、お言葉に甘えて中を見せてもらいました。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
他の宗派と、どこか違った感じを受ける聖堂の正面祭壇です。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
雰囲気的にはギリシャ正教会やロシア正教会のものを感じます。そもそも、「シリア」ルーツを持つにあるキリスト教の教会、というのがすごいです、
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
この教会のある場所はシリア地区と呼ばれています。巡礼者、そして難民としてパレスチナに移住し始めたシリア人が、ここ、アルフライザ地区にシリア地区を作ったのが始まりだそうです。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
この美しい教会は1838年に作られたそうです。特徴はこのフレスコ画と聖書の物語。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
確かに見るものを惹きつける力強いフレスコ画でした。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
そしてこれが、教会の宝という聖書。招き入れてくれた男性(牧師さん?)が、「お前のそのカメラでぜひ撮って行け(例によってフルサイズ一眼を手にしていました)」というので、遠慮なく撮らせていただきました。宝石がちりばめられた非常に贅沢なつくりの聖書です。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
・・・えっと・・・全く読めません・・。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
「シリア人」といっても厳密なシリア人用の教会ではなく、トルコ南部とイラク北部のクリスチャンのための教会だそうです。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
教会の隅々まで見させていただきました。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
ゆっくり、ゆっくり時間が流れている場所に感じました。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
広い中庭にはいくつかの建物がありました。現在はとても静かです。戦乱の中にあっても平和でありたいと願った場所に感じました。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
教会の方々の生活の場もありました。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
外壁の様子。教会内のほとんどを見せてもらったお礼に、多めにドネーションを差し上げてきました。その際「日本人かい?」と聞かれました。もちろん「ハイ」と答えましたが、アジア系の観光客が少ない中で、中国でも韓国でもなく、日本人と言い当てたカンはすごいです。
【聖母マリアのシリア正教会 Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary】
「なんで日本人と思ったんですか?」と聞こうと言葉が出かかりましたが、急に気恥ずかしくなってやめておきました。「聞いといても良かったな」と今なら思います。
様々な宗教、様々な文化、そして過去と現在がいろいろに融合した不思議なパレスチナ自治区、ベツレヘム。イスラエルに行ったときにはぜひ、足を延ばしてみてください。