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旅行記 「地平線の彼方へ」 Life has more imagination than We carry in our dreams.  

ロシア・中東・イベリア半島 ドタバタドライブ紀行

【第1章】 Have a safe flight ? イスラエル脱出

【1】 イスラエルの空港にて

「もう一度、なぜこの国に来たのか話してもらえますか?」

目つきの厳しい50歳ぐらいの男性係官は、真剣な表情で同じ質問を始めた。

「またか・・・・」
と一瞬思ったが、僕は再度丁寧に説明を始めた・・・。

【photo:常にテロの危険性があるイスラエル・ベングリオン空港 】

ここはイスラエル、ベン・グレオン空港。事実上の首都、テルアビブ近郊の空港である。今からイスラエルを発って、隣国ヨルダン行きの飛行機に乗ろうとした、その受付カウンターのわずか数メートル手前の「検問所」に僕はいた。出入国審査官から1時間以上は質問攻めにあっていた。

審査官は次々に代わり、今、目の前にいるのは3人目である。精悍な顔つきの男性で、小柄で言葉は丁寧だが、鋭い眼でこちらを凝視しながら、矢継ぎ早に様々な質問を放った。

「なぜイスラエルに来たのですか?」
「あなたの日程を全て話してください」
「テルアビブに泊ったといいましたが、あなたが実際に泊ったホテルの所在地は空港に隣接するイェハド Yehud村ですよね。どうしてテルアビブ市内に宿泊しなかったのですか?」
「レンタカーで移動したといいましたが、ずいぶん長距離を走ったんですね。どこに行ったのですか?」
「宿泊したホテルはわかりました。それらのホテルを選んだ理由は?」
「家族はいますか?」
「なぜ一人で来ているのですか?」
「仕事は何をしていますか?」
「職場での立場は?具体的な業務内容はなんですか?」
「職務上の証明はなにかありますか?」
「勤務先が発行しているクレジットカードはありますか?」
「2回マレーシアへの渡航歴がありますね。だれと行ったのですが?その理由は?」
「休暇目的なら、どうしてロンドン・パリのようなところに行かないのですか?」

・・・様々な話題を次々に聞いてくる。同じ内容であっても微妙な表現を変え、何度も何度も聞き、様々な観点から、僕が本

【photo:イスラエル・テルアビブ近郊にあるベングリオン空港の出発階 】

 自分は一人大きなバックパックを抱え、2週間にわたる旅に出ていた。日本を発ち、ロシアを経由し、イスラエルに入ったあと、これから次の目的国ヨルダンに行こうと飛行機に乗ろうとしていたところである。
この出入国管理官に質問攻めにあう前にすでに2人の別の職員から全く同じ質問攻めにあっていた。一人目は40歳くらいの経験豊かそうな女性。二人目は20代と思われる若い女性。この二人から、それぞれ30分くらいずつ、旅の目的とイスラエルでの動き、そしてこれからの予定と、自分の日本でのことを、根掘り葉掘り聞かれたばかりである。
自分はすべての質問に、丁寧に誠実に答えたつもりである。ただし、だからと言って、この変な東洋人が「安全な旅客」とは判断できず、彼女たちはより強力な上司を連れてきた・・・というわけである。

自分はただ単に、イスラエルの実態を見たかっただけである。中東紛争の焦点になっているこの地が、実際にはどんなところなのか見てみたかった。そして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地になっているエルサレムとはどんなところなのか、この目で見てみたかっただけである。よって、イスラエルに入国してから3日間。車で各地を走り回った。

しかし、状況的には非常に不利だった。
「家族がいるとおっしゃいましたが、何か写真はありますか?
スマホとか」

すぐにスマホを見せたが、残念ながら常時多様なカメラを持参している自分は、スマホであまり写真を撮らない。スマホ内の写真で家族に関係するのは、うちで飼っているミニチュアダックスぐらいしかない。こんな緊張している場面で、我が家の少々おバカなワンコの写真を出したら場が和むかなと一瞬思ったが、彼の鋭い視線を感じ、すぐに緊張モードに戻った。

10分、15分と時間はどんどん過ぎていく。「ベングリオンから出るときは少なくとも3時間前、できれば4時間前に来ていたほうがいい」という噂は本当だった。自分は一生懸命説明したが、どんなに話しても、新しい疑問点が生まれるらしく、状況は一向に改善しなかった。

たとえば目的地も問題だった。次に行きたいのは隣の国ヨルダンの首都アンマン。隣国の首都に飛行機で行くのは当たり前に感じるが、実はここから直線距離でわずか60kmしか離れていない。しかし両国の真ん中にパレスチナ支配地域があるので、それを大きく迂回するルートをバスでいけば、200km以上4時間かってしまう。中東戦争で何度も戦い、領土紛争が続いている宿敵の首都へ陸路で移動することは、それなりの困難が伴うので、時間と手間を考え、安くはないこの区間のフライトをとったのだ。しかし近すぎるこの両国。わざわざフライトをとることへの不信感も覚えたらしい。加えて、足元見れば履いている靴は、飛行機に乗るというのに毒々しい赤と黒のクロックス風の安物サンダル。審査官氏から「そのサンダルを脱いで見せてくれ」と言われたからには、やはり怪しく見えるのであろう。自分も怪しい配色でこんな下品で派手なものは履きたくなかったのだが、どうしても履きものが必要だった時、店にはこれしか売っていなかったのだから仕方がなく買ったものである。また審査官はパスポートに残る他国への入国履歴にもこだわっていた。特に数年前のマレーシアの記録に過剰反応をしていた。この時はスリランカに行くために、安かったマレーシア経由の格安航空会社(エア・アジア)を使っただけだが、「イスラム諸国への入国履歴」は彼らに無用な警戒感を与えるに十分だった。

【photo:怪しまれた毒々しい色の偽クロックスのサンダル】


そして、なんといっても若くない男の一人旅。家族がいるというが、写真もなくそれも怪しい。
 スマホを普通に使っているのに、家族の写真一枚ないとは奇異に感じるのは当然といえば当然である。


【photo:内部はいたって普通の空港ロビー】
でも、自分は、何一つ嘘は言っていない。イスラエルの今の様子や過去の歴史を、この目で見たくて来ているだけで、やましいことも何もない。怪しいサンダルにしても、パレスチナ自治区で急な大雨の中、汚れた深い水たまりにどっぷり浸かってしまい、一足しかない靴が悪臭の塊となってしまったのが洗うこともできず、たまたま立ち寄った死海の売店で、これだけ売っていたものを嫌々選んだだけである。
だから、相手の質問に一つ一つ丁寧に答えていった。ホテルの予約記録、メールでのやりとりなど、データとして証拠があれば全て見せた。同じことを何度聞かれても、正確に、誠実に、丁寧に答えた。


【figure:テルアビブとアンマンの位置関係 �(c) Google】

質問時間は1時間半を超えた。相手の質問も完全に同じ内容が増えてきた。

「では、あなたは単に観光のために来たということですね?」
「・・ハイ、そうです。本当に、単に、歴史や文化を知りたくて来たのです」

 審査官氏は、ここでしばし無言になった。

そして数分後。しばしの沈黙の後

「・・・・・・・・わかりました。 ・・・・・では、安全なフライトを。  (OK、Understand. Safe Flight)」

そう短く言って、パスポートを返してくれた。
気が付くと、空港に到着してから10m進むのにまる2時間半が過ぎていた。

世界最高のセキュリティを誇るこの空港の検問はこの後も続いたが、さすがにこれ以上大変なものはなかった。形式的な書類チェックと受け答え、一般的な荷物チェックを何度も何度も経て、ようやく、ロイヤルヨルダン航空、アンマン行きの搭乗ゲートに辿り着いたころには、身も心も疲れ果てていた。
・・・でも。

本当のことを言うと、自分は質問には誠実に答えたが、不利になりそうなことはあえて言わなかった。

「イスラエル国内を、まる3日間、縦横無尽に3000km程度、車で爆走してしまいました。」
「敵対しているパレスチナ自治区のベツレヘムへも行ってしまいました。国境の検問は無事通過しましたよ」
「死海沿いの国道90号線を北上していたら、意図せずヨルダン川西岸のパレスチナ勢力支配地域の微妙なエリア入ってしまい、しかもそこを200km以上爆走してしまいました。」
「周りには建物が一切なく、ただ道がまっすぐあるのみで『イスラエル国民は決して横道に入ってはいけない!』と厳重な警告が何度も出てくるヤバい道でした。でも、警告地域には入らなかったので何も起こりませんでした。」
「厳重な検問も何度も受けてしまいました。でも丁寧に事情を話して通してもらいました。ライフルを持っている軍の方も話せば、みんないい人たちでしたよ」
「隣国なのに『イスラエルと国交がない』『イスラエル存在自体を絶対認めない』という緊張状態が続くレバノンとの国境まであと数キロ、というところにも行ってみました。第1次大戦以後国境が封鎖されているので隣国との行き来もなく、静かな雰囲気でした」
「常に戦闘が絶えないパレスチナのガザ地区の近く、40kmほどの町にも泊ってみました。いたって穏やかな雰囲気の街でした」
「地下にウラン鉱山があり、地下に秘密の核兵器製造工場があると世界中の公然の秘密になっていてイスラエル軍の秘密核基地があるという、噂のネゲブ砂漠のディモナדִּימוֹנָהという街にも行ってしまいました。まぁ通過しただけなので軍事基地は見ていませんよ」
「ちなみに全行程をほぼ4K画質で動画記録してあります。車の走行はGPS付きのドライブレコーダーで。街歩きの様子はGoProというアクションカムで。膨大なデータ量になりますが、すべてHDDに移し替えて保存してあります」

【photo:ロイヤルヨルダン航空の搭乗券】
・・・なんてことは絶対に言わなかった。もちろん、今も軍事的に本当に危険なガザ地区や、反イスラエル勢力軍が本格的に展開しているゴラン高原などは行かなかったが、それでも一般的に考えて、日本の四国の一回り大きい程度のイスラエル国内を3000km走ったということは、それなりにマズイ場所にもかなり絡んでいる。

加えて、今回の荷物の大部分を占める多種多様なカメラなどの撮影機材・情報通信機器の話題も触れなかった。購入総額100万円以上の多量の機材が目に触れたら、スパイに疑われ、確実にもっと強い詰問に遭っていたことだろう。
ちなみに後日、いろいろな方に話を聞くとイスラエルを出国する個人旅行者にとってこの程度の尋問はまだ軽い方だったようである。自分が止められた最初のゲートでの質問で少しでも怪しいと感じれば、すぐに別室に連行され全所持品から行動歴を詳細に調べ上げられるらしい、とのこと。つまりこれでも自分は軽い方だったようである。しかし、自分にとっては、この尋問であっても非常に長い時間に感じたことは確かだった。

 

 搭乗ゲート前の椅子に座り、心が落ち着いたところで、時差を確認した後、日本の家族に電話をする。

「今、イスラエルを出るところなんだけど、出国まで空港で大変だったんだ・・・」
「ふふふっ。 確かに。パパ一人だと、どう考えても怪しいもんね。家族の写真でも送ってあげようか?」

電話の向こうの妻と子どもはいつもの明るい声で言った。
当たり前だが、日本では相変わらずの日常が広がっていることが、なんだかうれしかった。

「・・・確かに・・・どう考えても、怪しいと思うよな」
「・・・行動も、行先も、そして機材を考えると、どう考えても怪しい人間に見えるよな。」

 確かに・・・。
冷静に考えれば考えるほど自分の姿が客観的に見えてきた。
審査官たちの立場に立ってみると、自分のような動きをする人間は疑うのは当然だろう。スパイとまではいわなくても、アラブ側の協力者かもしれない。そう考えれば、あの詰問も常識の範囲内であろう。

「そうか、オレは怪しいやつなんだ!」
「そうだよな、そもそも怪しいような旅に出ているんだもんな。正当に評価してもらったということかも」
「でも、こうやって、オロオロ・ドキドキする体験って、自分が自分らしく生きている証拠かもな」
「そもそも、そういう非日常的な体験を求めて、旅に来ているんじゃないのかい?」
そんなことを考えていると、不思議と心が軽くなってきた。むしろ、未知なるものへのあこがれと新しい冒険に出ているという前向きの強い感情が生まれてきたといった方が正確であろうか。

学生時代から世界各地を旅してきた自分。しかし、年齢を重ね、家庭を持ち、仕事でも責任あるものを任されることも増えてきた。社会的にも家庭的にも仕事的に抱えているものが大きく・重くなると同時に、どこかで安定を求め、「常識から外れる行動」をするには、その気も心も失っている自分に気づいた。
でも。自分は生来、新しいもの、未知なるものへのあこがれが人一倍強かったはずである。それは年齢を重ねても、家庭を持っても、社会的な役割が増えても、冒険する気持ち・新しいものに向かっていく気持ちは変わらないはず。しかし、いつしかそれに「常識」なるベールをかけて、見えないようにしていることに気づいた。

 

だからイスラエルの出国係員の方のきつい審査は
「お前、怪しいなぁ。普通の旅行者じゃねぇな。」
「でもまぁ。ホントにいろいろ見たいだけなんだな。まぁ気を付けていってきな」 
という、彼らなりのエールかもしれない、とそんな気がしてきた。

 そんなことを考えていると突然、
「ロイヤルヨルダン航空 アンマン行き、間もなく搭乗を開始します」
アラビア語の英語のアナウンスが降ってきた。

「よし行こう! まだ見ぬ国々へ!」

気持ちを切り替え、すっかり元気になった僕は足取りも軽く、次なる未知の国、ヨルダン行きの搭乗口に向かっていった。


【photo:いざアラブの地へ!アンマン行きRJ343便に搭乗】