アフ トンガリキ
(AHU TONGARIKI)

ポリネシア地区最大の歴史的遺産といっても過言では無いだろう。50t近いモアイが15体、両翼100m以上のアフという、巨大な石のモニュメントである。ここは1960年にチリ沖地震の津波で完全に倒壊してしまったのだが、日本のクレーン会社「TADANO」の技術・資金援助により見事復旧された。


15体のモアイ

モアイをクリックしてください。それぞれのモアイの拡大ページに行きます。


トンガリキマップ

ハンガロア村から一番遠い所とも言えるトンガリキであるが、なんと言っても復興された15体のモアイのある場所なので、ここに向かう道は比較的整備されている。このページの下の方のラノララクから撮った写真を見ていただくと分かる通り、モアイを切り出したラノララクから数キロの距離にある。上の図で、「アカハンガ方面へ」とあるのがメインの道。だが、ラノララクの駐車場から、真っ直ぐトンガリキの方に向かって、草むらの中の何となく道らしいものを通ると、上の図のホツィティのモアイの近くにある道に出てくる。まぁ、正規の道もかなりの悪路なのでどちらを通ったところで大して変わりはない。言い忘れたが、詳細地図を見ていただくと分かるが、ここらへんには舗装道路というものが存在しない。全て未舗装道路である。駐車可能スペースと書いておいたが、そんなに厳密なものではないので、車がおけそうだったら、どこに置いてもいいと思う。ちなみにこの図の色は、土が露出しているところは土色、草が多いところは緑というように、何となく実物の色合いに似せておいたつもりである。下の写真達と見比べてなんとなくでも雰囲気をつかんでもらえたらとても嬉しい。


海を背に整然と並ぶモアイ

1960年、チリ沖地震の津波がこの島を襲った。この波で、ここアフトンガリキのアフ(祭壇。モアイの下にある土台のようなもの)は完全に崩れさってしまった。もちろんそれ以前のフリ・モアイ(モアイ倒し戦争)によってモアイは倒されていたのだが、アフだけは残っているのが普通である。津波は、アフも、そしてモアイ自体にも深刻なダメージを与えてしまった。


とにかく大きいモアイ達

一口にモアイと言っても、その形、大きさなどで何種類にも分類できる。大きさで分けた場合、とにかく「全部がデカイ」というものがここトンガリキのモアイ達である。低いもので5m、大きなものは9m近くあるだろうか。重さは40t〜80tくらいだという。凝灰岩は、他の岩石に比べて比重が重いと言うことはまずない。むしろ軽いのが普通なので、体重からもその大きさをそうぞうしていただけると思う。


形も大きさも様々なモアイ

ここのアフは千年にも渡る歴史があるという。古いアフが壊れてきたら新しい石を運び再建し、また壊れてきたら再建しと、少なくとも3度の再建を受けているという。また、現在、モアイは15体あるが、過去にここに運ばれてきたモアイの総計は28体であるという。


ラノララク山頂から見るアフ トンガリキ

アフ トンガリキとは、ラパヌイ語で「王の港」という意味。背後には屏風のようなラノララク山、左手には緑美しいポイケ半島、そして正面には波静かなホツイティ湾を望むという最高のロケーションにある。西洋人による島の第一発見者、そして「イースター島」という名前の名付け親でもあるヤコブ・ロッゲフェーンが最初に投錨したのもこの場所であるという。ラノララクからでも、トンガリキははっきりと確認できる。静かな美しい海の入り江に、巨大なモアイ達が整然としている姿は、やはり圧巻である。