アフ ヴィナプ
(Ahu Vinapu)
マタヴェリ空港をハンガロア村とは反対方向に走り続けた先にはこの島の石油を備蓄するオイルタンクがある。そのタンクの脇をぐるっと回り込んで500mほど行くと「アフ ヴィナプ」という立て看板がでている。立っているモアイはなくて一見地味なアフだが、ここにしかないものもあり貴重なアフである。
ブィナプNo.1全体図
ヴィナプはNo.1とNo.2という2つのあつまりから成り立っている。これは手前のNo.1の全体図。立派なアフの周りにモアイやプカオが転がっている
緻密に作られたアフ(祭壇)
このアフ ヴィナプにはNo.1とNo.2という2つのアフがある。この場所が大切な理由の一つは、この緻密に作られたアフである。島のほとんどのアフが大まかに石を積み上げているのに対し、ここのものは緻密に組み合わせて磨いてある。
大きく倒されているモアイ
手前に倒れているのがモアイである。ちょっと平べったい形のモアイだが、この南海岸地方にはこういった形のモアイが多い。
顔から倒されているモアイ
人と比較するとその大きさが分かるだろうか。高さ約3m〜4m、幅2m、奥行き1.5m位のこういったモアイが倒されている。No.1には、確実に確認できるだけでも6体のモアイが倒れていた。
埋まっていたモアイの頭
ヴィナプNo.1のアフにはモアイらしきものが多数転がっている中にはこのように頭だけを出して埋まっているものもある。
人物と比較
上のモアイの大きさを示すために、人物と比較してみた(ちなみに妻デス)。デザイン的にかなり初期のモアイと想像される。
この石組みは・・・
ヴィナプNo.1のこの石組みはまさにインカ帝国の石組みを彷彿とさせる。「カミソリ一枚通さない」と言われたインカの巨石文明からは距離が離れすぎているが、この島の起源が南米にあると主張する人の根拠の一つがここにあると言っても、確かに納得する。「イースター人南米渡来説」を中心に唱えているのはノルウェー人ヘルエルタール。彼はこの石組みと、ラノララクなどに生い茂るトトラ(葦の一種)が南米チチカカ湖にあるものと同じことを証拠に、南米起源説を唱えた。
やはりこれはインカに通じる?
一部をアップしてみると、その緻密さがよく分かる。風化しやすい凝灰岩のため、表面は粗いが、この石組みはペルー、クスコの街に残されているインカ帝国の石組みと通じるものを感じる。
ヴィナプNo.2全体図
ヴィナプNo.1から数10メートル奥に行った所にヴィナプNo.2がある。36m×4m×3mの大きさのプラットホーム形のアフで、かつて9体のモアイが立っていたとされる場所だが、現在は陸側に6体のモアイが倒されているだけ。しかも、常に潮風に当てられているためその風化は早く、かなり悲惨な状況になっている。
唯一の女性モアイ
これが島唯一の(というか世界で唯一の)女性のモアイ像と呼ばれるものである。ヴィナプNo.2にある。プカオと同じ赤色凝灰岩でできており、高さは2mほどの小さなものである。一説によるとこれは双頭のモアイであり、現在のものは頭がうち砕かれた残骸とも言われるが、真相はいかに?。手と胸が何となく残っている(と言う気分で見るとそんな気がする)。形としては女性というよりも、「男性の」といった方がいいくらいの形である。これがなぜ、女性なのか、なぜ、赤色凝灰岩で出来ているのか、詳しいことは不明だという。