鳥人儀礼
(TANGATA MANU)

イースターの持っている伝説の中で最も有名なものの一つがこの「鳥人儀礼」だろう。その理由はキリスト教伝来によって他の儀式が途絶えてしまったのに比べこの儀式だけは近代になっても、続けられたためである。そもそもこの儀式はイースターの伝統的行事としては近代、つまり後半になって盛んになったものである。簡単に歴史を見ると、1000年前に始まったモアイづくり→人口増加→部族対立によるフリモアイ(モアイ倒し戦争)→そしてこの鳥人儀礼、という流れになる。かつてはモアイが部族の象徴、富と力の象徴だったが、それが倒された後には、権力と力の象徴として、「この儀式の勝者となること」、が求められたのである。


基本的なルール
モツ・ヌイ島に渡ってきたアジサシ(軍艦鳥のこと。マヌタラとも呼ぶ)が、最初に生む卵探し競争である。


時期と場所
毎年一回、南半球の早春にオロンゴで開催。


なぜ鳥人なのか、なぜアジサシなのか
「創造神マケマケは海鳥マヌタラ(アジサシ)にオロンゴの岬の下にある3つの岩島を与え、そこを住居と定めた。それ以来、マヌタラは春になると、ここにやってきて、卵を産むようになった」という伝説がある。マケマケの化身はタンガタマヌと呼ばれる「頭は鳥身体は人間」という鳥人である。絶海の孤島に暮らす人々にとって、自由に波を越えて飛ぶ鳥こそが神の力を宿すものと考えられた。神の化身である鳥人は強いマナ(超自然力、霊力)の持ち主として崇拝されていた。


オロンゴに残るタンガタマヌの岩絵。全ての創造神マケマケの化身で頭は鳥で身体は人間という神である


参加するものは
そのレースに参加できるのは、戦士階級の首長であるマタ・トアだけ。彼らは自分で競技に参加しても良いし、ホプと呼ばれる部下を参加させることもできた。


実際の儀式@ 7月   ・・・儀式の始まり 
儀式は7月に始まる。参加者達は、女子どもを引き連れて村を後にし、島の南西端、ラノカオの麓のマタヴェリ(今の空港がある場所)に移動する。一行はそこに滞在して、数々の儀式に必要な小道具や飾りを用意した。このための大きな家屋も用意した。また、食人も行われたようである。儀式用の衣装を付けた男達は、「ラオの道」と呼ばれる小道を通って儀式の行われるオロンゴの儀式村に着く。ここには50あまりの岩屋と500を越すレリーフがある。


実際の儀式A 8月   ・・・島へ渡って
8月になると、競技参加者は、オロンゴから、モツ・ヌイ島に渡る。わずか2kmの距離にある岩島だが、サメが出没し、高波にさらわれる危険も大きい荒海を泳いでいくのは並々ならぬ精神力と体力が必要だった。島に近づくのさえも容易ではなかった。それでも、卵を探す使命を帯びたものたちは、葦で作った円錐形の浮きに長期滞在のための保存食を積んで海を泳ぎ切った。島に上陸すると、小さな洞窟に住み、天候が穏やかな間は、親類や仲間から食料の補給を受けた。挑戦者達が産卵を待つ間、オロンゴでは、さまざまな儀式によって神を味方にしようとしていた。人々は家の前で踊り、タンガタ・ロンゴロロンゴ達は、聖像を祀る岩屋の中で昼夜分かたず聖歌を唱えた。マケマケ神とその従者ハウア神にはおびただしいほどの捧げものが供された。


実際の儀式B 9月  ・・・最後の決戦
9月になるとホプたちはほとんど睡眠もとらず、一日中空に向かって祈りを唱えた。そして最初に卵を見つけたホプは、「鳥の叫び」と呼ばれる岩の上に駆け上り、勝利者の名前を大声で呼び、勝利者の髪を剃るように命じる。この叫び声はオロンゴの断崖の岩屋で待機している者たちまで届いた。ホプは直ちにオロンゴの村まで泳ぐ。このとき、彼は無事に村まで泳ぎ帰れるとされていた。卵の霊力が彼を守るとされていたためである。


鳥人の生活
モツ・ヌイ島から帰ったホプは、髪、眉毛、まつ毛をそり落として待っていた首長に持ち帰った卵を渡す。最初の卵を手渡された鳥人はその瞬間に新たなる鳥人となり、カオ一面に赤と黒の線を引き、背中に木製の鳥をくくりつけ、にぎやかな行列の先頭に立って、マタヴェリに降りていく。人々は歌い踊り、神官または鳥人自身が指名した犠牲者が生け贄としてマケマケ神に捧げられた。その祝宴の場所がアナカイタンガタ(食人洞窟)とされる。食人は「相手のマナを自分の体内に取り込む」という儀式として重要だった。
やがてその年の新しい鳥人はラノララク火山の麓の家、あるいはアフトンガリキなど重要なアフの足下の家に引きこもる。彼は名前を変え、来るべき一年は夢の中で髪に告げられた名前で呼ばれた。
鳥人には様々な厳しいタブーがあった。まず彼はその家を出ることは許されなかった。身体を洗ってもいけない。禁欲生活を守り、専用の炉で特別な従者が炊事した食物しか口にしなかった。髪も爪も切らず、また特別な人となった印に人間の髪で作ったかぶりものをした。外にいる同族の者は食料を提供する義務を負い、神聖な卵は豊穣をもたらす者と見なされ、中身を取り出してタパ(クワの樹皮で作られた布)を積めたものが鳥人の家につるし出された。
鳥人=王であり、鳥人=神だった。鳥人として君臨する一年間は、政治的、経済的にさまざまな恩恵にあずかった。一年たつと鳥人は住居を引き払い、かつての仕事に復帰した。しかし、その後も生涯尊敬され、祭りの時には特別な位置を占めた。また、鳥人だけが葬られる特別な場所に埋葬された。


鳥人儀礼が終わったわけ
島全体がキリスト教に改宗されても続けられていたこの儀式が終わるのは1866年。つまり19世紀半ば過ぎのことである。廃止した理由は正確にはわかっていないが、「イースターの社会が絶対的なカリスマ的存在の鳥人を必要としなくなった」と考えるのが妥当。1800年代と言えば、西洋人による奪略が盛んに行われ、島の人口が激減した時期である。自分たちの支配者を選ぶことよりも、既に強大な権力によって島は支配されてしまっていたと考えていいはずである。


オロンゴに残る鳥人のレリーフ

現在もオロンゴには、鳥人に関する数々のレリーフが残されている。様々な模様が描かれたこれらの岩が、今は静かで美しいこの岬に伝えられてきた伝説を静かに語っている。


参考文献 「イースター島の謎」創元社 他