サンピエトロ大聖堂
Basilica di San Pietro

世界最小の街バチカン。しかしバチカンほど存在の大きな国はないだろう。面積0.44平方キロメートル。同じくイタリアにある小国サンマリノ共和国は60平方キロ、フランスとスペインの間のアンドラ公国は、450平方キロ、モナコ公国ですら1.49平方キロあるからその小ささは秀でている。「ハンカチほどの土地」…259代教皇ピウス11世はこの国の小ささをそう表現したという。しかしカトリックの総本山としての地位は揺るぎ無く、そして深遠なる歴史と伝統に支えられたバチカンの存佳感はあまりにも大きい。 


サン・ピエトロとは、キリストの12使徒の一人、聖ペテロのこと。キリストが弾圧されていた頃でも、彼は大いに伝導に励み、活躍したと伝えられている。しかし、ローマで追害を受け、AD65年頃、現在のサン・ピエトロ広場で逆十宇架にかけられ殉教したという。なぜ逆十字にかけられたかというと、彼がキリストと同じ十字架ではおそれおおいと自ら逆さになるのを望んだためと伝えられている。聖ペテロは現在の大寺院のあたりにあった皇帝ネロの大競技場に葬られたとされてきたが、最近大寺院地下のさらに下の発掘調査の結果、殉教した聖ペテロの墓と骨が発見され、1976年法皇パウロ6世は、聖ペテロの墓が実在したことを正式に発表した。聖ペテロは初代法王とされているので、名実共に、ここサン・ピエトロ寺院はカトリックの総本山として認められているわけである。 この寺院の問口は115o、奥行きは211mもある。屋


サンピエトロ広場(Piazza San Pietro)


正面からの姿


サン・ピエトロ大聖堂は総面積15106平方メート、高さ45.8m、収容人数6万人という想像を絶するキリスト教世界最大の大聖堂である。サンピエトロ寺院のクーポラは、あのフィレンツェのものとほぼ同じ形をしているが、ここのはミケランジェロの設計によるものだという。聖堂内ばあきれるほど大きい。
ドームだけでも高さ45m、地上からの高さは182.5oというとてつもない大きさである。三廊式の内部には彫像450体、柱は500本、祭壇50ヶ所ととにかくけた外れのスケールの寺院である



キューポラに登る途中の道から見た大聖堂の屋根内部の装飾。あきれるほどの緻密な絵画がモザイクによって無数に描かれている。
ここ、サンビエトロ寺院はバロック建築の代表の中の代表であるという。整然とした美を追究するルネッサンス形式へ反動から生まれたというバロック様式。バロックとは、ポルトガル語の「歪んだ真珠」が語源と言われ、あまりにも豪華な装飾が、下品、悪趣味と後世の人から蔑まれることがこの言葉を生んだらしい。確かに豪華すぎる装飾が威圧感を与えないこともないが、こうして、ヴァチカンのサンピエトロ聖堂の中に見る天蓋や司教座は全体の空間の中に調和して素晴らしい存在になっている。バロックとはルネッサンスと同様に空間、色彩、光の全てを計算し尽くした芸術なのだろう。




最深部にある祭壇。


バチカンは、独自の通過や切手を発行するだけでなく、銀行、病院、神学校、天文台、鉄道駅、発電所、兵舎、放送局、新聞杜など、まさに国として必要なものは全て持っている。放送局からは、全世界
40カ国以上に電波を放ち、新聞社からは日刊紙を全世界に向けて発行している。世界100ヶ国以上と外交関係を結び、大使を交換している。ただし、日本もそうであるように各国の大使館は、ここの狭い土地にあるのではなく、口一マ市内に散在している。つまり、在イタリア日本大使館も在ヴァチカン大使館もローマ市内の別々のところにあるというわけである。そしてローマ法王はこの国の国家元首、キリストの代表者、使徒聖ペテロの後継者、全世界のカトリック教会の最高司祭でもある上に、ヨーロッパ総大司教、イタリア主座大司教、ローマ管区大司教という肩書きを持つ精神的支配者でもある。
紀元前の歴史だけでなく、宗教的に見るバチカンの現在の動きを見てみると、この国の、そしてローマ法王の違う側面が見えてくる。この動きを見るには
1991年、そうあのソ連崩壌頃の動きを見るとわかりやすい。「欧州は現在、歴史的な瞬間を迎えている。多くの諸国、民族の中で自由が再生している。欧州の市民杜会的、文化的、宗教的観察が必要だ。」「共産主義は崩壌した。諸国民の権利を否認し、全ての国民の生活を完全に支配してきた全体主義の諸政権は瓦解した・・」これが、19917月に全世界を飛び回ったロ一マ法王庁発のイテナリウムと呼ばれる「全欧カトリック司教会議(シドノス)特別総会」開催の案内状である。東欧・ソ遵での共産党一党支配の終焉、EUによる欧州政治・経済統合という欧州の政治的激変に対しローマ・カトリック教会はどのように対応していくべきか、新たな布教活動はどうあったらよいかを討議しようと言うわけである。そして19911128目から1214目までバチカンで開かれたそのシドノス特別総会では「キリストの信仰は個人の生活だけでなく、全欧州社会にも1段と影響を与えている。それがさらに強い統合を促す」という認識の下「全欧州の福音化」「宗教による全欧州の統一」を図ると決議されたという。しかもこの特別総会の会議中、とんでもない朗報が入った。そうソビエト遵邦の崩壌である。特にウクライナ共和国の独立はバチカンにとって大きな意味を持つ。ウクライナ西部はカトリックが多数派、しかも他宗教であるはずのユニエイト教会も儀式や教会はギリシア正教にのっとりながらも実質的にはカトリック。つまり、バチカンはウクライナの独立で広大なロシアに進出する足がかりをさらに固めたと言って良い。話が少し複雑になったが、簡単にまとめると、ソ連の崩壌という政治的激変に乗じて、ローマ法王庁は自分のテリトリーを少しでも広げようと精力的に活動しているということである。このローマ法王庁の精カ的な動きは1978年にローマ法王に選ばれた、ヨハネ・パウロニ世の個人的願望と密接に結ぴづいているという見方カ強いらしい。ヨハネ・パウロニ世はカトリック史上初めてのスラブ人法王である。しかもポーランド出身者として祖国の占領、共産党の強権支配をしっかりと見てきた。そのために平和の礎として法王就任以来、「全欧州の統一」を訴えてきた。つまり法王自身の願望として「カトリックによるアイルランドからウラルまで全欧州の統一」というものが明確にあるということである。