タハイ
(TAHAI)
イースター島の立っているモアイの中で、ハンガロアに一番近く、一番古く再建されたモアイがある場所である。ここからを見る夕日は絶景でハンガロア村民も時々見に来るという場所らしい。モアイに気が行ってしまうが、この場所古代イースター人に欠かせない様々な生活施設がほぼ完全な形で残っている大変貴重な場所である。正式には「タハイ遺跡群(Complejo
Ceremonial De TAHAI/TAHAI Celemonial Complex)」と言うべきか。
タハイ遺跡群の全体配置
from TAHAI Cortesia de Jaramis Producciones
この遺跡群は、1969〜1972にかけてWilliam Mulloyという考古学者によって調査・研究された。ここは主に3つのモアイ、そしてその周辺遺跡群から成り立っている。モアイから解説していこう。まず左にあるのがアフ バイウリ(Ahu Vai Uri)と呼ばれる5体のモアイである。そしてRampaと呼ばれる船を出し入れするという溝を挟んで真ん中にあるのがアフ タハイ(Ahu Tahai)のモアイ。そして右側にプカオ(帽子)を載せて一人立っているのがアフコテリク(Ahu koteriku)のモアイである。この3つのモアイとそれの立っているアフ(祭壇)がこのタハイ遺跡群の中心になる。それでは手前の構造物を左から見ていこう。まずボートの輪切りのような楕円形はボートハウス(Hare Paenga)と呼ばれる古代イースター島人の住居跡である。ボートハウス跡は島内の至る所で見られるが、ここのものが一番分かりやすかった。ボートハウスの隣に転がっている石ころは古い時代のモアイの破片(Fragmentos de Moai)である。手前左側の石垣の様な台形はHare moaと呼ばれる鶏小屋である。絶海の孤島にあるイースター島では鶏は大変なタンパク源として大切にされてきた証である。真ん中にある隠れ家の入り口みたいなものはAna kiongaと呼ばれる地下施設。避難場所に使われたらしい。そして真ん中右の小さな丸いものはUmu poe と呼ばれる調理用のオーブンの跡だそうだ。右端のタハイの看板の上の黒くなっている崖はKaravaと呼ばれるシェルターで、その前の穴はTahetaと呼ばれる雨水を蓄える穴だったらしい。アフコテリクの前の丸いものは、Painaと言う死者を祀るときの儀式に使われた円だという。
入り口にあった「世界遺産マーク」
こんなに有名な世界遺産サイトにも関わらず、ユネスコマークがある看板はこれ一つだけ。駐車場から遺跡に向かう草むらにどーんとそびえていた。
アフ バイウリのモアイ
ここタハイの遺跡の目玉の一つ、バイウリのモアイ。5体のモアイがあるが一番左に台座だけはあるので本来は6体あったのだろう。それぞれ個性のある特徴的な姿をしている。比較的古い時代のモアイ達で、細かい装飾は消えかけている。高さ5m弱。島で一番太いどっしりとしたモアイ達の様に思える。
タハイのモアイとコテリクのモアイ
真ん中にあるのがタハイのモアイ、そして手前にあってプカオをかぶっているのがアフ コテリクのモアイである。青い空、紺碧の海。そしてそれに映えるモアイ達。古代遺跡好きでなくても絶対感動できる場所である。
楕円形のボートハウスとアフ バイウリのモアイ達
これが古代の住居跡。正式にはハレパエンガ、ボートの様にも見えるので通称「ボートハウス」と言われているもの。楕円形に礎石を並べ、葦で編んだ屋根と壁が作られ、入り口には半月形に石が敷き詰められた前庭の様なものを有していた。平均的なもので長さ10〜15メートル。長いものだと40メートルのものもあったという。あらゆる時代を通して、酋長や聖職者など身分の高い人が住んだと考えられている。、
ボートハウス跡と、タハイ遺跡群の全景
これがタハイの全景。写真で見るより本物はとっても広い。ゆっくり歩くだけでも30分はかかる。でもハンガロアから近いので気楽に何度でもこれるのが良いところ。ハンガロアの中心部から車で5分、歩いても15分程度で来られると思う。
のんびり馬が草を食む、現在のタハイ
かつての聖域、儀式の場所も、今はのんびりと馬が草を食べている。馬はヨーロッパ人が持ち込んだものなので、現役でモアイを作っていた時代にはあり得なかった光景だが、現在のこの島ではごく自然の風景。